越智会長と同じようにやれば誰でもうまくいきそうなものなのに、多くの人はなぜそれができないのでしょうか。

越智:賢い人は他人の言うことが素直に聞けないのと違うかな。僕には中卒だというメリットがあったと思います。何でも受け入れないと仕方がないというのを、それこそ大阪に丁稚奉公に来るときから分かっていました。受け入れないと始まらないんですわ。

故郷の愛媛から大阪に出てくるときから。

越智:中学を卒業して来るときから、そう思っていたんです。中卒だし、何が起こっても受け入れないとしょうがないと。

(写真:水野浩史)
(写真:水野浩史)

帰る場所がなくなり、靴下一筋に生きた

帰るわけにもいかないし、大阪で生きていくしかないと。

越智:大阪で生きていくしかないと思ったのは3年ぐらいたってから。その頃、僕は初めて田舎に帰らせてもらったんです。奉公先の大将から「10月の秋祭りに帰っていいよ」とやっと許しが出ました。天にも昇るような気持ちで愛媛に帰りました。

 実家に着くと、兄貴が玄関にでんと座っていました。僕は「ただいま」と言って家に入ったんです。そうしたら兄貴がこう言ったんです。「今、何と言った?」。僕は「何も言ってない、ただいまと言っただけだよ」と答えました。そうしたら兄貴から「おまえはどうして『ただいま』と言うんや。ここはわしの家や。おまえはもうお客さんや。これからは『こんにちは』と言って入れ」と言われましてん。僕はえらくショックを受けましてね。兄貴にそう言われ、「僕にはもう帰るところがない」と心底思いました。

自分の実家ですよね。

越智:父が死んで、兄貴が後を継いでいました。僕はまだ18歳でした。「2年7カ月ぶりに実家に帰れる」と、もう、るんるんでしたんや。ところが、兄貴にかまされましてね。その晩、母が「何か食べたいものはないのか」と聞いてくれたんですが、僕は「何もない。あるものでいい」と。それから僕には帰るところがなくなったんです。

お兄さんは何歳上なんですか。

越智:20歳ぐらい上です。だから、親と一緒。僕は11人兄弟の末っ子で甘えたい放題で育ちましたからね。「何とか辛抱させなあかん」とあえて徹底的に厳しくしたのと違うかな。僕のことを一生懸命に考えてくれていたんだと思います。

 人間、受け入れると強くなります。退路を断たれたわけですからね。それ以降はまさに靴下に打ち込む人生でした。「一生一事一貫」という言葉があります。一生を通じて、一つのことを貫き通すという意味です。僕は靴下でこれを実践してきた自信だけはあります。

(構成/荻島央江、編集:日経トップリーダー

靴下専門店の全国チェーン「靴下屋」を一代で築いたタビオ創業者、越智直正氏の人生訓。15歳で丁稚奉公を始めてから60年、国産靴下に懸ける尋常ならざる熱情を語り、経営の王道を説く。『靴下バカ一代』は好評販売中です。詳しくはこちらから。

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