弁理士資格を取得したのをきっかけに転職されますね。

鮫島:日本アイ・ビー・エムに転職しました。弁理士の勉強って1人ではなかなかできなくて、グループを組んでやるんです。そのときのメンバーに日本アイ・ビー・エムの知財部の人がいまして、その人が紹介してくれたんです。

 最初は慣れなくて、非常につらかったのを覚えています。それまでエンジニアだった人間がぽっと弁理士資格を取って、ある日、大企業の知財部門の席に座ったわけです。それで机の上にドンと仕事を置かれて、これを1週間で仕上げなさいと言われた。特許実務も何もやったことがない人間なのに、ですよ。

 見たら、何やらコンピューターシステムの話が書いてあって、全然分からない。「経験もないし、技術分野も違うので分かりません」と上司に言いに行ったら、めちゃくちゃ怒られまして。「うちは君を弁理士だと思って採用したのに、違ったのか?」と。プロ意識が芽生えたのは、そこからです。とにかくありとあらゆる手段を駆使して、1週間で何とか形にして持っていったことが、私のプロとしての仕事の原点になりました。

勤務しながら、司法試験の予備校に通う

そしてさらに弁護士を目指されたのはどんな理由からですか。

鮫島:仕事は好きでしたが、法律の勉強がどうしても忘れられなかったんです。それくらい、法律学との相性が良かったんです。それで知財だけではなく、民法とか刑法とか、もっと幅広い分野を勉強したいなと思い、司法試験の予備校に通い始めました。

 今ならロースクールに行くのでしょうが、当時はそんなものはありませんでした。最初から司法試験を受けようと思っていたのではなく、一番気合が入っていそうな人たちがいるところで勉強したい、と思って予備校に行ったんです。そうしないと勉強の効率が悪いことは、よく分かっていました。

 小テストの点数も割と良かったですし、「ひょっとしたらこれ、司法試験もいけるかも」と思い始めたのは、半年くらい経ってからです。

勤務は続けたままですか。

鮫島:もちろん。家庭もありましたし、会社を辞めるなんていう選択肢は全くなかったですね。司法試験のライバルは24時間勉強できる環境で、こちらは1日8時間、絶対に仕事をしないといけない。その中で、どうやって勉強時間を確保したらいいのか、は常に考えていました。

 結論としては、朝の時間を使いました。夕方からだと、疲れちゃっていてダメなんです。だから、とにかく朝、起きられるだけ早く起きて、好ましくは始発に乗る。それで会社に行く。

 日本アイ・ビー・エムで良かったと思うのは、当時から24時間オープンの図書室があったことでした。そこに午前6時ぐらいに飛び込んで、勉強開始。フレックス勤務でしたから、午前10時にオフィスに上がっていけばよかったんです。ですから毎日、そこで4時間。電車の中を入れると、それ以上、朝だけで勉強できていました。

合格までどれくらいかかったんですか?

鮫島:3年半です。これは相当しんどかったです(笑)。1日4、5時間の勉強を1週間だったら続くでしょうが、3年半。出口が見えない中でやらないといけないわけなので。

 仕事も真面目にやったんですよ。野洲工場(滋賀県)における特許啓蒙活動で、1996年には特別貢献賞をもらいました。それを受けた4カ月後に司法試験に最終合格。それで、翌年の3月31日に退職し、4月1日から司法研修所に入所しました。

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