2013年10月期、158億円だった売り上げは、17年10月期に252億円と、福祉事業を好調に拡大していますが、依田さんは社会人になったとき、出版社勤務だったそうですね。そこを独立して、学習塾を開いたと聞いています。
依田:私が社会人になった1976年頃は、就職が厳しい時期だったので、出版社には縁故のような形で入れてもらいました。当時のその出版社の社長が同郷で、ルートがあったものですから。ただこの会社、利益率は高いのですが、当時は古い体質の会社でした。私には合わないなと思いまして、3年後に26歳で独立しました。

そのときは、今でいう超ホワイト企業であり、創造性に溢れ、管理されなくても従業員自ら動いて仕事をしていけるような会社をつくりたいと思っていました。私の実家は、もともと材木屋で、その後、電機メーカーの3次、4次下請けのような仕事をしていました。そのため家の中の会話に、売り上げがどうとか、従業員がどうとかいった話が毎日のように出てきていました。そういう環境で育ちましたので、独立に抵抗はありませんでした。
小学生で金もうけ主義を脱し人のために
このとき既に妻がいましたが、大阪にある彼女の実家は、亡くなった義父の所有する不動産を管理する会社を持っていました。私は次男で、妻は三人姉妹の真ん中、姉と妹は独身という状況だったものですから、その会社を継がないか、という話があったんです。そこで、妻の実家の不動産を活用しながら、学習塾を立ち上げたのです。
今の福祉事業と学習塾では、事業内容がかなり違いますが、当時、学習塾を立ち上げようと考えたのには、何かきっかけがあったのでしょうか。
依田:小学校4年生のとき、「株式投資をしてもうける」といったような作文を書いたことがあります。すると担任の先生から、金もうけもいいけれど、人のために生きることのほうが大切だ、というようなことを言われたんです。そのときは反発しましたよ。
ただその先生に3年間学ばせていただく中で、常に児童の自由と自主性を尊重し、あらゆる差別を許さない強い意思を持つことに、憧れと尊敬の念を持つようになりました。その結果、私のそれまでの金もうけ主義が人のためという方向へシフトしたんです。学習塾を始めた動機の根底にはその思いがありました。
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