現場を離れて経営に専念されるようになったのは、いつ頃からですか。
野澤:その点に関しては、大きく3回くらいはギアを切り替えました。最初の頃はやはり、自分が主体になって動かないと仕事が回らない。その段階では、自分も技術者の1人として働いていました。
それから、だんだんと技術面での仕事を部下に任せ、自分は営業に専念するようになりました。従業員が100~200人くらいまでは営業は私1人きりで、そこにサポートをつけてやっていた感じです。
当時は、お客さんのところに行けば必ず仕事がもらえるようないい時代でした。それで、いったんは事業を大幅に拡大したんですが、組織体制がとても追いつかない。それで、少しずつ組織階層をつくり管理職を増やしながら、会社を成長させてきました。完全に現場を離れて経営に専念するようになったのは、従業員が300~500人規模になってきた頃だったと思います。

会社を興してみたら、大きくならないと食われちゃう
私もあまり大きなことは言えないなと思いますが、サラリーマンをやっていた頃は「独立した方が安全だ」という感じもあったんです。当時はサラリーマンといえども必ずしも安泰ではありませんでしたし、もっと楽な暮らしをしたいと思えば独立するしかなかった。ですから、正直に言いますと、そんなに大きな会社にするつもりもなかったんです。
しかし、実際に会社を興してみると、大きくならないと食われちゃうんです。ですから、身を守るためにも大きくならないといけない。それで、仕方なく大きくしてきたようなところもあります。
変化が激しい業界の中で生き残ってきたのは、何が理由だと思いますか。
野澤:起業というのは知識だけじゃないんです。独立志向のマインドを絶えず強く持っていないと、うまくいかない。それと、情熱ですね。自分はこういう会社をつくりたいんだ、という確かな情熱と熱意がないと、最終的には実現できないんじゃないか、と思いますね。
実は私も、もっと早く引退しようかと思っていたんですが、やはり、目の前で会社の業績が悪くなっていくのを見るのは嫌でした。引退しても後味が悪いですから。
一番苦しかったのはリーマン・ショックの後です。業績が急激に悪化しました。多くの会社が業績不振に陥りましたが、当社は業界の平均以上に落ち込んだ。これに関しては私自身も深く反省しています。会長に就任してからというもの、事業に対する情熱が少し弱くなっていました。現場のことは銀行から来た社長に任せていましたが、そうではなくて、あの時、もっと自分が本気になって関与していたら、と思うことも多々あります。
創業者はある意味、どこへ行ってもチヤホヤされる。だから、あちこちの会合に出させてもらって、そっちが楽しくなっていたんです。
業績が悪くなってから、つくづく考えました。創業者がいなくなっても立派にやっている会社は何が違うんだろうか、と。やはり、創業者が持っていたDNAを末端まで叩き込めたかどうかというところにかかっているのではないかと思います。
その点において、私のこれまでの経営は甘かった。ですから今、もう一度、原点に返って現場に入り込み、市場について勉強しているところです。 (後編に続く)
(構成・曲沼美恵)

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