そのときの悔しさが「黒霧島」の開発につながっているんですね。ただ、開発中は黒霧島について社内から猛反対にあったそうですね。

社内で反対された「葬式みたいな焼酎」

江夏:そもそも、黒霧島は黒麹を使っていますからね。われわれの祖先が焼酎づくりを始めたときは黒麹しかなかったんですが、黒麹では蔵も白い衣服も真っ黒になる。あるときから、蔵も衣服も汚れずに味もいいという白麹にすべての焼酎屋さんが切り替わったんです。

 ところが、当時も種子島や屋久島では芋焼酎に黒麹を使っていたんです。じいさん時代の黒麹があるはずだと取り出して焼酎をつくってみたら、これはいけると感じた。

 パッケージもかっこいい黒にしたかった。しかし、社内のみなが黒と金のデザインに大反対。「なぜ葬式みたいな焼酎を出すんだ」と猛烈な反対ですよ。ところが私は、京都の呉服屋さんのショーウィンドウに飾ってある真っ黒な着物と金の帯のすばらしい組み合わせを見たことがあった。それで黒に金というのはかっこいいと知っていた。だから、必死になって社内を3回説得しようとしたけど、ダメだった。四面楚歌でした。食品業界で「黒」という色のイメージはすごく悪かったのです。

 そこで僕は、黒と金のデザインのネクタイを締めて会社に行って、会議の前に周りに聞いてみた。するとみんながネクタイを見て、「おー、かっこいいね」と言うんです。その後の会議で、黒霧島のデザインは先ほどみんながかっこいいと言ったネクタイと同じなんですよ、これがなぜ悪いんですかと言ったんです。当時はわれわれのシェアが下がっていて、デザインも含めてそれまでの焼酎の常識にとらわれていてはもうだめだったんです。単においしいというだけじゃ全然だめだった。

その結果、黒霧島の大ヒットにつながったわけですよね。こういった社内外のつらいこと、HARD THINGSを江夏専務が乗り越えられた理由はなんだったのですか?

江夏:やっぱり人間を支えているのは愛情なんですよね。田舎の自然の中で、川に魚をとりにいったり、田んぼや森で遊んだりして育って、僕は自然からの愛情をいただいた。親からも愛情をいただいた。こうした愛情が人間を成長させるんです。親が一生懸命やっていた家業を守るという基本的な姿勢もあります。

 それから、苦労というのはやっぱりあるべくしてあるんです。また、苦労を苦労と思うか思わないか、これが重要なのです。社内でも、社外でも、考え方やこれまでの体験の違いで、判断が変わってくるものですから。