「行政が支援してくれるから」で終わらないために

川島:次に、佐賀県産業労働部理事の志岐宣幸さんのお話を聞いてみたいのですが、百田さんに声をかけたのはどういった理由から?

(Hand painted Aritaware_Photography Kenta Hasegawa)

志岐:有田で初めて磁器が作られたのが1616年、今年でちょうど400年なわけですが、ここ20年くらい、有田焼は止まっていたのです。だから、400年をきっかけに、何とか活性化できないかと考えていました。そんな折、百田さんが一企業としてリスクを負って「1616/arita japan」を立ち上げたのを見て、行政として一緒にやっていけないかと思ったのです。百田さんの活動を起点として、これを有田焼の産地全体に広げられないかと。

川島:そこから「2016/ project」がスタートしたんですね。このプロジェクト、私も何度か取材してきたのですが、行政がここまで食い込んでやっているという点でもユニークだと感じました。

志岐:有田焼の再生・復興のため、私たち県庁職員も「入って支援する」ことに徹しようと考えたのです。海外デザイナーの方々とのデザインミーティングはじめ、何事にも当事者として参加してきました。

川島:立ち上げにあたっての目標みたいなものは、どのように決めたのですか?

志岐:百田さん、柳原さんと何度も話し合い、(1)有田ならではの職人技術と専門知識を、国際的に活躍するデザイナーとマッチングさせ、新しいモノ作りを行う。(2)行政のスポンサーシップからスタートさせるが、2016年以降は、参加企業による完全な事業化をめざす。この2つを掲げてやっていこうと決めました。その旗印のもと、参加企業を募ったのです。

川島:たくさんの手が挙がったのでは?

志岐:「行政が支援してくれるから」ということにならないよう、自立する意思を持った企業であることを条件に募りました。支援は単なるきっかけであって、本当に自立するという覚悟を持ってもらわないと。最終的には、10の窯元と6つの商社が参加することになりました。

川島:このプロジェクトは、海外から16組に及ぶデザイナーが参加しています。全員が有田に足を運び、参加企業と直にやりとりしてモノ作りした点も面白いと感じました。普通、この手のプロジェクトは、いわゆるプロデューサーとかコーディネーターが間に入って進めるものですが、これはそうじゃない。直にコミュニケーションしてモノ作りしていったわけです。

志岐:柳原さんのアドバイスもあって、デザイナーの方々に、産地に足を運んで滞在してもらったのです。たとえ言葉が通じなくても、自主的にコミュニケーションをとって、一緒にモノ作りすることが大事だと思ったのです。

川島:実際のところ、それって大変じゃなかったのですか?

志岐:いや、それはそうです。海外の名のあるデザイナーと直に接するなんて初めてのことですから。でも、一緒に温泉に入ったりお酒を飲んだりという過程を経て、徐々に距離が近づいていった。そして、良いモノ作りをしようという求心力ができてきた。やはり、3年という期間は必要だったと思います。

川島:16もの参加企業をとりまとめていくのも、簡単ではなかったと思いますが。

志岐:すべてが順風満帆と言ったら嘘になります。ただ、有田焼を何とかしなければという思いは一緒だったので、参加企業の間で、技術を教え合ったり、一緒に課題解決に取り組んだりといった風に、横の連携が起きたことは大きかったです。今までほとんどなかったことなので。

川島:誰かが繋がないと、なかなか連携できないのでしょうね。ところで、行政の仕事は単年度が多いのも、産地プロジェクトのネックのひとつと感じてきました。せっかくここまで来たのに、来年のことは来年のこと、もう一度、予算申請が必要になってくるといった具合に。

志岐:佐賀県の場合、有田焼創業400年に向かう意気込みが物凄く強かったのは大きかったです。だから、最初から3年かけてという計画を組むことができました。

川島:それくらいじっくり取り組む姿勢、必要ですよね。

志岐:また、プロジェクトの過程でオランダとの繋がりが強くなって、この5月から12月末まで、アムステルダム国立美術館の隣りに「Arita House Amsterdam」という、佐賀県とオランダの文化交流の場を設けることになったのです。「2016/ project」のコレクションの展示や販売を行うことも決まっていて、このプロジェクトの製造プロセスや、デザイナーがどのように日本の伝統工芸や文化遺産に発想を得たかなど、背景も含めた展開をしていく予定です。