虎屋の黒川光博社長とは、『虎屋ブランド物語』(東洋経済新報社)を書くため、取材をお願いしたのがご縁だった。その後、同じく老舗企業のエルメス本社の元副社長である齋藤峰明さんとの対談『老舗の流儀 虎屋とエルメス』(新潮社)を一書にまとめることになり、多岐にわたる話をうかがうことができた。
老舗とは、ともすると保守的と捉えられがちだがそうではない。変えてはいけないことを変えないために、変えるべきことを変えていく。さまざまなことに挑戦してきた先に今がある。激変している時代だからこそ、老舗が大事にしてきた本質的な視点を持つことが肝要と感じた。
黒川さんは、2011年に発足した「食品会共生連絡会(以下、共生連絡会)」という組織の発起人を務めている。これは、百貨店の定休日や営業時間に関し、時代に対応するあり方を検討することを目的に、デパ地下に軒を連ねる有志企業が集ったもの。年中無休で長時間勤務が恒常化している百貨店に対し、問題提起を行ってきたのである。
発足してから5年、地道な活動が実を結び出すとともに、長時間労働をはじめ、働き方に対する議論が巻き起こっている。「共生連絡会」の一連の活動を含め、黒川さんの考えを聞いた。
年中無休、閉店時間延長の百貨店に疑問
1943年東京生まれ。虎屋17代当主。学習院大学法学部卒。 富士銀行(現みずほ銀行)勤務を経て、1969年に株式会社虎屋入社。1991年代表取締役社長に就任、現在に至る。 全国和菓子協会会長、社団法人日本専門店協会会長、全日本菓子協会副会長等を歴任。 (撮影:鈴木 愛子、以下同)
川島:まず「共生連絡会」の概要を教えていただけますか。
黒川:始めたきっかけは、東日本大震災でした。「自分がやるべきことをきちんとやらなければいけない」と感じたのです。以前から抱いていた「デパートの年中無休や、閉店時間の延長は、食品フロアの質的崩壊につながっていくのではないか」という課題について、真剣に考えてみようと思いました。それで、同じ立場の企業の方に声をかけてみたのです。
川島:即座に結成!となったのですか?
黒川:いや、そうでもなかったのです。「取引先である百貨店に対し、そういう物言いをしても所詮無理では」という声が、少なからずありました。
川島:百貨店から「そんなこと言うなら出て行ってもらって構わない」と言われてもおかしくないこと。長年にわたる取引関係から言えば、百貨店の方が圧倒的に強いでしょうし。
黒川:ただ一方、「以前から疑問に思っていたし、このままではやっていけない」と賛同する企業の方もいらして、それなら有志が集まって始めようということから、「共生連絡会」が発足したのです。「百貨店と取引先が共に時代に対応するあり方を検討する」を掲げ、「食品メーカーと百貨店がより良く共存していくこと」を課題に掲げました。
川島:メンバーには、黒川さんをはじめ、榮太楼總本舗の細田治会長、ユーハイムの河本武社長(現会長)、味の浜藤の森口一会長、山本山の山本嘉一郎社長、ヨックモックの渡邊太郎社長(現相談役)、花園万頭の石川一弥社長、福砂屋の殿村洋司社長、人形町今半の高岡慎一郎社長、赤坂柿山の川合寛妥社長と、錚々たる顔ぶれが並んでいます。
黒川:各企業にとって大きな取引先である百貨店で働いている人たちの環境を見直そうという意思を持って集ったのです。百貨店が定休日を設けること、営業時間の短縮を図ること、主にその2点について改善を図ろうと考えたのです。
川島:百貨店が年中無休になって元旦まで営業するようになったり、営業時間が長くなって夜の9時までやっていたりする。お客にとっての利便性第一というのはわかるのですが、一方で働いている人は大変だろうと感じていて。
黒川:2011年のことです。37社が参加した「共生連絡会」としての問題提起書を、日本百貨店協会に提出したのです。最初は「協会として、この課題を重く受け止め、定期的に意見交換、情報交換したい」という回答をいただきました。ところがそこで止まってしまい、一向に回答をいただけなかったのです。
川島:確かあの頃から、伊勢丹新宿店は休業日を設けたと記憶していますが。
黒川:日本百貨店協会からの回答を待ちながら、個々のデパートの社長一人一人と話していきました。ところが大半は「他のデパートの動向を見てから」といった反応。そんな中、三越伊勢丹の代表取締役社長である大西洋さんだけが「強く共鳴する」とおっしゃり、早速、2011年8月から、伊勢丹新宿本店を皮切りに休業日を設け、営業時間を短縮するようになったのです。
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