ブラパットは鉄製のカップに布をかぶせて、これをお洋服に縫い付けて、バストを美しく見せるという商品です。これは塚本が発明したわけじゃなくて、安田武生さんという発明家が発明したものです。

 塚本は卸販売を始めるんですけど、この時に独占販売権を取得しました。それはなぜかというと、日本でも今後、和装から洋装に移っていくという確信があったからです。そうすると、女性はバストラインを美しく見せるものが絶対にほしくなる。「これはいける」と思って、ブラパットの独占販売権をとりました。それが1949年なので、その時にワコールの前身となる、和江商事を創立しました(会社の創業は1946年)。

 塚本の読み通り、ブラパットは発売直後から飛ぶように売れました。けれども1個250円という値段は相当に高かったんですね。当時、1カ月の新聞代が44.75円だった時代ですから。それだけ高いブラパットを洋服の数だけ買えるわけがない。だからと言って、お洋服を着替えるたびにブラパッドを付け替えなきゃならないのも手間です。それだったら簡易に付けられるようなものはないかということで、今の形のブラジャーというのを塚本は考えました。

 そこからは試行錯誤の連続で、塚本は奥様の胸を借りて、自分でパターンも引いたことがないのに、試作を重ねました。アメリカのカタログを参考に、見よう見まねでブラジャーを作りだしたんですね。そうした経緯もあり、ワコールのこれまでの歴史は、ブラジャーの着け心地だったり、造形性だったり、そうしたことを追求する70年でした。

当時のマスコミには「逆ストリップ」と言われましたが…

日本でブラジャーを普及させてきたのは自分たちだ、という自負があるということですか。

鳥屋尾:…支えてきたというか、応援し続けてきたというのが正直な気持ちですね。今ならほとんどの成人女性はブラジャーを着けていますが、数十年前はそうではありませんでした。だから「ブラジャーを着ける」ということから啓発活動をしてきました。例えば、大阪の阪急百貨店のホールに300人の女性を集めて、ブラジャーを着けてからお洋服を着ていくという、そういうショーをやったりしたんですよ。当時のマスコミには「逆ストリップ」と言われましたが…。

 そのような啓発活動を通じて、日本に下着文化というものを広げてきた。それがワコールの歴史だし、そういった文化をつくりだしていくことが自分たちの仕事なんだという意識があります。

 今、創業から70年を迎え、女性がブラジャーを身に着けることが当たり前になりました。もう一度創業の精神に立ち返って、世の中の女性を美しくするために、ワコールは次に何ができるだろうか。そうしたことを社内で話し合うなかで、やっぱり体の美しさとか形の美しさだけじゃなくて、心のありようとか、生き方とか、ひいては社会のありようみたいなものまでを美しくするという、そういった応援ができないだろうかと。それを具体化したのが、このスタディホールなのです。

文化を広めるには時間がかかります。

鳥屋尾:地道というか、あきらめない。ワコールにはそういう社風があります。文化をつくろうと思ったら、そんなに短い期間ではつくれません。人の習慣を変えるのって、やっぱり難しいですから。

「ワコールスタディホール京都」の外観。京都駅八条口(南側)より徒歩7分。新幹線の車窓からも見える位置にある