だとすれば、裁判をやる価値があるとすれば、故人に多額の賠償金を払えるだけの遺産があるのに遺族が応じないといったケースのみになります。

佐藤:そういう事例は極めてレアケースと言えるでしょう。

だとすれば、JR東海の裁判はどう取れえればよいのでしょう。

佐藤:JR東海の裁判は、電車にはねられ死亡した本人は認知症で、民法709条での責任を問えない可能性が高いと思われます。実際、裁判の争点も、認知症などで責任能力がない人が損害を与えた際、「監督義務者」がその責任を負うとする民法714条を巡るものでした。今後、高齢化社会が進展すれば、同様の事故が多発しかねません。JR東海は、賠償金目的というより、認知症者による鉄道事故の責任を誰が負うべきか社会に訴えかけるため、この裁判を起こしたとも考えられます。

なるほど、よく分かりました。考えてみれば、鉄道自殺の場合、ただでさえ大切な人をなくして打ちひしがれて遺族に裁判を起こすのは、鉄道会社としても気が引けるのでしょうね。

佐藤:社会的なイメージもありますからね。

抑止力として都市伝説には意味がある

それに、喧嘩による遅延などはどちらが本当に悪かったのか、見極めにくくはありませんか。以前、JR東海道線で車内で目が合って喧嘩を始めた2人の中年男性がホームに降り立った後、もんどりうって共に電車に接触し、両方死亡して電車が止まった事件がありました。これなど、2人とも死んでしまった後となっては責任の所在をなかなか追及しにくいです。

佐藤:ただ一方で、私は、「列車を大きく遅延させると、鉄道会社から億単位の莫大な賠償金が本人や遺族に請求される」という考えは、鉄道自殺の抑止効果という意味で、それはそれで意味があったと思うんです。鉄道事故の処理は本当に大変なんです。条件次第では何十万人に影響を与えます。ご遺体の扱いも想像を超える大変な仕事です。しかも一刻も早く運行を再開せよと言われます。

実際、相当なスピードで復旧するケースもよく見かけます。

次ページ では、航空機のトラブルはどうなのか?