「日本の自動車産業がちゃんと勝負できるのか、すごく心配です」

実際にエンジンも積んで?

田嶋:エンジンは解体業者のオヤジから、バイクのエンジンをもらってきて、それを積んだり。中学3年生から高校生の頃の話です。

 例えば、宇宙船のような格好をしていたマツダ「R360クーペ」の前をちょん切り、鉄工所のオヤジに溶接してもらってゴーカートの前の部分にして、エンジンにはホンダの2輪車「ベンリィ」のエンジンを積んで、チェーン駆動でどこどこっと動くようにして。楽しかったですけど、ひどかったですね(笑)

 ピストンも、焼け付いたピストンをもらってきて、木材で頭を叩いて動くようにして使ったり。メカニック的な詳しいことは分からなかったですが、メカニズムは大好きでした。だから、僕が子供の頃、家族の間では僕の周りに時計とかオルゴールとか、そういうものを置いちゃだめだということになっていたらしいです。全部分解して壊しちゃうから。

ドライバーとしての才能が開花したのはいつごろですか。

田嶋:大学に入って東京に出てきたとき、アルバイトのエンジニアとして、テレビのカーアクションを請け負っていた会社のあるガレージで手伝いをしていたんです。ある時、テストドライバーが病気になって、それでもどうしても走りをチェックしたいと言われまして、しかたがなく、ちょっと私が走りましょうかと走ったんです。そうしたら、プロのドライバーより速いタイムが出てしまった。そこからです。急きょドライバーとして、いっぺん競技に出て見ろと言われ、出たレースでいきなり優勝してしまいました。そこからスポンサーが付きはじめて、今に至るという感じです。

自分の会社を設立したのは1983年ですが、もっと自分が乗りたいスペックのクルマを作りたいという思いが強かったのでしょうか。

田嶋:そうです。もっとこうやったら、という思いが強かったのですが、ないなら仕方がないので、自分で作るかと。

 まずは、市販車の改造から始めました。ゼロから作るのは、だいぶ後になってからです。その後、スズキと提携し、スズキのメーカーチームを私がプロデュースするようになりました。そうこうしているうちに、2008年のリーマンショックが起きて、スズキも含め各自動車メーカーは一斉にレースへの参戦休止を発表しました。以前、スズキは35%出資してくれていましたが、今では私が全部買い取っています。

 結果的に、電気自動車の普及を目指すという立場としては、良かったと思っています。どこかのメーカーの色がついてしまうと、あまりよくありませんから。

電気自動車をめぐる各メーカーの動きについては、どう見ていますか。

田嶋:僕は、最近ヨーロッパに3週間滞在し、いろいろなメーカーと話をしてきましたが、電気自動車の開発に対して、半端でない投資をしていますよ。ディーゼルが不正の問題でダメだとなり、世界中がゼロエミッションを目指そうと言ってる時に、今から燃料電池車(FCV)を開発しても普及するのに何年かかるのか。だったら、一気に電気自動車だと、全メーカーが電気自動車にかじを切っています。

 各メーカーの開発担当者と話をしてきましたが、2020年あたりまでに各社、フルラインで電気自動車をそろえてきますよ。もちろん、FCVをやっているメーカーもありますが、圧倒的に桁違いの数で電気自動車が出てくる。

 日本の大手メーカーが水素社会だと言うのは大いに結構ですし、私もFCVにネガティブなことを言っているわけではありません。しかし、スピードとスケールを考えたとき、このままでいいのか心配です。ゼロエミッションに加えて、AI(人工知能)の勝負になったとき、日本の自動車産業がちゃんと勝負できるのか、ものすごく心配なんです。