消費とマーケティングを変えるVRMとは?
デロイトトーマツコンサルティング・平林知高氏に聞く
経済産業省は訪日外国人向けに、各地の事業者から高度なサービスが受けられ、決済も簡単にできるような情報基盤「おもてなしプラットフォーム」の構築を目指している。2020年の実現を目指して、今年10月から一部地域で指紋など生体認証を活用した実証実験が始まった。
おもてなしプラットフォームの背景にあるのは、ベンダー・リレーションシップ・マネジメント(VRM)と言われる耳慣れない概念だ。買い物履歴など企業に蓄積された個人情報は、従来は企業がマーケティングに使ってきたが、これを消費者自身が管理・活用しようというものだ。外国人向けにとどまらず、広く日本人の消費生活を変える可能性も秘めているという。経済産業省の取り組みにも参加している、デロイト トーマツ コンサルティングの平林知高氏に、VRMの可能性などを聞いた。
(聞き手は鈴木哲也)
平林 知高(ひらばやし ともたか)
デロイト トーマツ コンサルティング デロイト エクスポネンシャル シニアコンサルタント。政府系金融機関を経て、2014年よりデロイト トーマツ コンサルティングに参画。フィンテックを活用した事業戦略、データ利活用に向けた事業戦略領域における知見を有し、2016年10月に開設されたデロイト エクスポネンシャルにおいてニューテクノロジーの活用による企業の成長のための支援に注力。政府系金融機関では、営業現場経験から業務運営計画策定、営業戦略立案、新商品開発、オペレーション改革に至るまで幅広い業務に従事し、官公庁への出向、中小企業白書の執筆経験も有する。
ポイントカードやクレジットカードを使った買い物の履歴は企業に蓄積されます。そうした顧客ごとの情報を生かして、最適なマーケティングをすることをカスタマー・リレーションシップ・マネジメント(CRM、顧客情報管理)と呼びますね。
平林:CRMという言葉は、今、マーケティングの世界では一般的になっていますけれども、ベンダー・リレーションシップ・マネジメント(VRM)は、これの対極にあるコンセプトです。カスタマーとベンダーというのが、逆転しているような考え方です。
ここで言う「ベンダー」というのは、何でしょうか。広く「企業」と理解しておけばいいですか。
平林:そうですね、企業という理解でいいと思います。
VRMのコンセプト
© 2016. For information, contact Deloitte Tohmatsu Consulting LLC.
そもそも個人情報は個人のものであるはずだ
そうすると、企業が顧客との関係をマネジメントするのではなく、逆に顧客が企業との関係をマネジメントするということになりますね。
平林:はい。CRMのような、今までのマーケティングでは、企業が顧客囲い込みという観点から様々な情報を収集し、その収集した情報をベースに、顧客に対してアプローチしていくというような考え方です。
顧客にとっては、自分の情報であるにもかかわらず、企業側が独占的に支配をしているような状況になりがちです。かつてIC乗車券の履歴情報が、他の企業に販売される事件がありました。自分の情報がどう使われているかという点で、透明性が確保されていない例が、他でも散見されます。個人情報保護法の改正などもあり、個人情報に対しては、センシティブになっています。こうした中で、そもそもデータというのは個人が持っているべきなのではないのか、というところから、VRMの発想が出てきています。
コンセプトは理解できました。すでに、VRMが具体化している例はあるのですか。
平林:現在はCRMからVRMへの移行期にありますが、VRMの考え方は、少しずつですが、世の中に浸透し始めたと思います。金融とIT(情報技術)を融合するフィンテックの中で、一般的に消費者に受け入れられているのは、家計簿をつけたり、資産を運用したりする、PFM(Personal・Financial・Management)と呼ばれるものです。スマートフォンやパソコンで家計を管理するサービスを提供する、「マネーフォワード」や「マネーツリー」といった企業が、知られるようになっています。
これらの企業が何をやったかと言うと、例えば私の銀行口座の履歴というのは、三菱東京UFJ銀行の口座なら、同行のインターネットバンキングなどで確認しなければ見られない。みずほ銀行の口座を持っていれば、みずほの口座で見なければいけない。自分は今、一体どれだけの預貯金を持っているのかというのは、一覧性があるものはなかった。まめな人で、エクセルとかで帳簿をつけて、毎日毎日、管理すれば一覧できるとは思いますが、そうでもしなければ、自分でも把握しきれなかったはずです。
その課題を解決するために、マネーフォワードやマネーツリーは、専門用語で言う、データ・アグリゲート(集約)を行うのです。ユーザーは、IDとパスワードをマネーフォワードとか、マネーツリーに預け、そうした企業が、各銀行にアクセスして、データを集約してくるというモデルです。自分が持つ複数の銀行口座の情報を、一つのアプリケーション上に全部集約してくるような形になっているのです。「自分のデータは自分のものということで集めてくる」というのが、VRMの発想の基本的なコンセプトなのです。
財産や買い物の情報を自ら開示するメリットは?
マネーフォワードのような仕組みは確かに情報の一覧性はあると思います。しかし企業ではなくて顧客が自分の情報を能動的に管理・活用するという、VRMのコンセプトには直結しない印象です。
平林:そうですね。ただ、これまで銀行が個人の口座情報を、第三者に渡すということはあまりなかったと思います。しかし、家計簿管理のサービスでは、アプリケーション上に、自分のアカウントをつくって、そこにデータを入れていく。つまり、各銀行がもつデータを、マネーフォワードなど第三者が提供しているサービス上に全部乗せるという形です。微妙なニュアンスではありますが、そこは自分のコントロール下に置くという考え方ができるとは思います。
VRMの考え方は、ある企業が持っている個人についてのデータが、第三者に開示されることで、その個人が最適なサービスを受けられるようになるということです。
情報を第三者に開示すると、消費者にはどんなメリットがあるのでしょうか。
平林:銀行取引や資産運用を例にとります。例えば、僕が三菱東京UFJ銀行に100万円の口座をもっていて、資産運用も500万円やっているとします。一方で、みずほ銀行には10億円も預けていると。そのときに、三菱のデータだけだと、多分、三菱は資産がそんなにない人だと思って、大した提案はしてこないでしょう。
それに対してVRMでは、複数の口座にある自分の個人情報を集約して、どこかに預けておくわけです。その預け先を、パーソナル・データ・ストア(PDS)と呼びます。そしてその集約された全財産のデータを、例えば、三菱に見せることで、何かいい産運用は考えられないのかという話ができる。そうすると、自分にとって最適なサービスを受けることができるのではないか。これがVRMのコンセプトです。
大資本でなくても、商品・サービスで競える
金融以外に限らず、様々な商品やサービスに応用できるのですか。例えば、いろいろなサイトで洋服を買っている人が、その履歴情報を集約して、ある企業に見せると、最適のおすすめ品が届くというような。
平林:服でもいいですし、住宅でもいいですし、いろいろな世界で、情報を開示して、それに企業が応えていくというようなことができるのではないかと思います。そういった世界が訪れると、企業側には消費者ニーズに応えるためのイノベーションが起こり、産業も活性化するというのが大きな狙いです。
もう一つ重要なところは、これまでは「楽天ポイント」や「Tポイント」を運営するような資本力がある企業なら、幅広いデータを持って、個人の実態をしっかりとらえることができた。一方で、中小商店などは、なかなかできませんでした。しかしVRMで、個人が自分の情報を開示するようなプラットフォームができれば、規模が小さい企業でも、情報にアクセスができ、本当の商品力やサービスで勝負できるようになります。
政府の成長戦略も情報活用の重要性を強調し始めました。
平林:政府が今年度に出した成長戦略は、「第4次産業革命」がキーワードです。政府のIT戦略の骨格としては、「世界最先端IT国家創造宣言」というものが策定されていますが、そこではVRMと同じような考え方が入っています。
経済産業省は訪日外国人向けのプロジェクトである「おもてなしプラットフォーム」の取り組みを進めており、このプロジェクトに、当社と大日本印刷などが一緒に、参画しています。
これは訪日外国人の個人情報や買い物の履歴をプラットフォームに蓄積することで、外国人が手厚いサービスを受けられるというような、コンセプトでしょうか。
平林:そうですね。基本的には、そういったところを目指しております。
まず10月から一部地域で実証実験がスタートしました。関東では神奈川県の湯河原、箱根、鎌倉で、指紋認証を使って、手ぶらでの決済、ホテルのチェックイン、様々な体験ブログラムへの参加などが、できるような取り組みだそうですね。
平林:1年目は、まだ時間が足りない面もあります。関東、関西、九州の三地域で実証を始めまして、来年度に向けて、どう拡張していくかといったところを、議論していきます。
訪日外国人の方は、再来日する例が非常に多いようです。一度、来日したときに、おもてなしプラットフォームでID登録をしていただければ、そこにデータをどんどんためていけるので、旅の思い出を1カ所で管理していくような形になる。どこの地域に行っても、そのIDだけでサービスが受けられるようにしたいのです。
それができると、外国人の方に何がメリットかというと、例えば前年度に新潟に行って、日本酒をたくさん買った方がいるとします。2年後に日本に再来日したときに、宮城に行きます。過去来日したときの自分の買い物体験を宮城の業者に開示しておくと、宮城にあるたくさんの酒蔵から、ピンポイントのアプローチが来る。そんなイメージで仕組みをつくろうと思います。
そのあたりが、初めに説明いただいたVRMの考え方が入っているのですね。
平林:一応、3年目をめどに、そういったところの実証をしたいと思っています。それに向けて、今年度はデータをためていって、来年度はそれを統計データとしてどう活用していくか。3年目は、ワン・ツー・ワンでちゃんと顧客にアプローチできるような形をつくれればいいなと考えています。
マイナンバー活用も視野、日本人にもVRM普及するか
外国人でも、日本人でも、やはり利用者がメリットを実感できるかどうかですね。業者側に、利用されているというようなイメージがついてしまうと、何か協力したくないなと、思うのではないですか。
平林:成功体験をどうつくっていくかということだと思っています。個人情報を取り扱うので、システム的には相当堅牢な形でつくっていこうと思います。
VRMで、個人情報を自分で管理して活用するというコンセプトは分かります。しかし、先にお話の出た、家計管理サービスのアプリなどでも、複数の口座情報やパスワードなどを、一業者に集めてしまうのが、逆に怖いという消費者は少なくないと思います。
平林:そこもやはり、情報を集めるだけで終わっていると、そういう印象をもつひともいるでしょう。金融機関も、集まったデータをどのように活用できるか、どんなメリットを利用者に提供できるか、模索しているのだと思います。
経済産業省が主導して、おもてなしプラットフォームを進めているわけですが、将来的に、日本人向けに、おもてなしIDの代わりに、マイナンバーを活用するという、発想もあるのでしょうか。
平林:そうですね、そういう発想はあり得るのだと思います。
なぜ今回、外国人向けで進めているのかということなのですが、通常の日本人向けのビジネスでは、大企業はやはり顧客を囲い込みたいというところがほとんどです。顧客の情報を、多数の企業間で流通させるという発想が現状では、ないのです。
そこを、インバウンドというところへ、視点を変えてみれば、そもそもデータを集めて何かやっているところって、そんなに多くない。さらに観光立国として、外国人の消費を拡大しようという共通のテーマもある。だから企業が、「オールジャパン」として一致団結して、データ流通をやろうと言えば、まとまりやすいのではという発想があるのです。これでうまくいけば、日本国内の日本人向けにも同じことができるのではないかというのは、経済産業省の担当者レベルでは議論されていると思います。
VRMの進ちょくについて、先行する海外の状況はどうですか。
平林:英国では2011年ごろから、政府が競争政策の一環として、情報を開示するような政策に取り組んできました。「消費者への権限移譲」を通じた事業者間の競争促進を主要戦略のひとつとしました。
米国でもオバマ政権が政府の情報の透明化を進めようと、まずは政府データを、民間に開放していくというようなところからスタートしています。米国の国民性もあって、民間で自然発生的に情報の流通が進んでいる面もあります。
Powered by リゾーム?