「ローン返済につながらないスキルは不要」という風潮

なぜ社会はリベラルアーツを軽んじるようになったのでしょうか。

ハートレー:人々がそう思うようになった理由は3つあると思います。まず2008年の金融危機。失業率が上昇したことで、将来にわたって安泰なスキルは何かということを多くの若者が考え始めました。

 次に教育コストの上昇。人々は大学の学費を払うことに不安を感じています。借金をしてまで学校に行くのに、借金に見合わない、ローンの返済につながらないスキルは身につけたくないという話です。

 最後にAI(人工知能)や機械学習、自動化によって仕事が奪われるという不安。2050年に世の中がどうなっているのか。遠い将来でも求められるスキルをどうやって身につければいいのか。そういう理由で若者はエンジニアリングを学び、エンジニアになろうと考える。そして、他のことを学ぶのを忘れてしまうんですね。

 でも、他の学問を学んでも、現実社会に直結するスキルや仕事を身につけることはできます。

 人類学や社会学を学べばユーザーエクスペリエンスに関連した仕事があります。また哲学を学べばプロダクトマネジャーになれるかもしれない。正しい問いを繰り返すことで真のアイデアに近づいていく――。実は多くの面で、プロダクトマネジャーの役割は哲学者に似ています。単に仕事の名前が違うだけです。こういった理解が不足していると思います。

「賢い問い」を発する人材がもっと必要になる

AIやロボットへの恐怖は根深いものがあります。

ハートレー:データがもっとあれば、情報がもっとあれば、人類はもっと知識を得ることができるという考え方は強迫観念のようになっています。ただ、実際にはデータが増えればデータに関して正しい問いを立てる人間がもっと必要になる。賢い問いを発する人材がもっと必要になる。

 より多くのテクノロジー、より多くのセンサー、より多くのデータさえあれば、より多くの回答を手にすることができる。それによって人間のスキルが不要になる。そういう考え方が広がっていますが、人類は異なるバックグラウンドを持つ賢い人間をまだ必要としています。AIは魔法ではありません。解決したいことをAIに聞く人間が必要です。

英文学が好きな人もプログラミングを学べ

FuzzyとTechieを融合させるにはどうすればいいと思いますか?

ハートレー:変えなければならないのはFuzzyかTechieかという二者択一の考え方だと思います。英文学が好きな人もプログラミングを学ぶべきだし、エンジニアリングを学んでいる人も哲学や文学などのリベラルアーツを勉強すべきです。教育とその成果を、AからBに行く”チケット”ではなく、世界中の国を訪れる”パスポート”として捉えるべきではないでしょうか。

 もしアジアをたくさん旅行したのであれば、次は欧州や北米、アフリカに行こうと思うでしょう。教育も同じです。サイエンスやエンジニアリングを既に修めているのであれば、文学や哲学の入国スタンプを集めた方がいい。日本文学しか修めていないのであれば、他の学問のスタンプを集めた方がいい。

 そういう世の中になるのは親の変化も重要です。先日、スタンフォードの学生と話したときに、本当は音楽を勉強したかったのに、STEM以外ならお金を出さないと言われてスタンフォードに来たという女性がいました。様々な学問のスタンプを集めようとする子供を親がどう後押しするか。子供が自信を持ってロシア文学を学ぶにはどうすればいいか。親の役割も大きいと思います。