「日常性」で父に褒められた記憶
セゾンアートギャラリーでは「芸術と経済活動の融合」ということもテーマとして掲げていると聞きました。
堤:どうしても美術館というと、商売とか経済活動が悪であるような感覚になっていくことがすごく多いんですね。それだと、日常性からどんどん離れていってしまうと思うんですよ。当然、作家も生活をしないといけません。ですから、気軽に作品を買ってくれる、日本的な「小パトロン」みたいな人が、増えてほしいという思いがあります。
7月13日からは「アートと初めて出会う」をテーマに若手作家4人によるグループ展を開催しますね。販売する作品は5万円以下と手が届きやすい価格にしているそうですね。
堤:そうなんです。気楽にアートを買う習慣をもってもらえたらと。有名な作家のポスターなどを買ってもいいのだけれど、自分でお気に入りの作家を見つけて作品を買うこともできるのです。そして誰かにプレゼントもする。そういう風になればいいなと思います。
ギャラリーは「ネオセゾン」という、たか雄さんの構想を具現化する最初のプロジェクトでもあるそうですね。
堤:セゾンがやってこようとした「破壊と創造」を繰り返すことは、そのまま踏襲したいのです。特に文化に関してなんですけれども。例えば、自分でやった企画展を、あれは素晴らしいと思い込んで、その場所から動けないというのは、違うと思うのです。自分のやったものであるからこそ、あれは古いと否定できるようにならない限り、新しいものって絶対生まれてこないと思うんですよね。これはうちの父親も言っていたことです。いったん自分がやっている美術館は最高であると思って、もう守るんだみたいに思い過ぎてしまうと、どんどん硬直化していって、進歩しなくなってしまいます。
父は、セゾンの美術館を立ち上げた当初、どういう美術館であってほしいかという意味で、「時代精神の根拠地」という概念を提示しました。時代というのは変化していきますから、その時代がどういう時代かというのを具現化する場所でなければいけないということです。その部分は引き継ぎながら、やっていきたいのです。
現状に満足せず、常に自己否定して進んでいく清二さんの性格から考えると、セゾンの美術活動には晩年、課題を感じていたでしょうね。
父も晩年、「日常性」というところまでは、できていなかったと思うのです。新たな作家を次々に発掘して、日常的に紹介していくような取り組みですね。ですから、日常性というのは、これから進めていく「ネオセゾン」の重要なキーワードと思っています。生前、父とあまり仕事の話はしませんでしたし、あまり褒められた記憶もないんですけど、最後の方で私が美術館の仕事を本格的に始めた、7~8年前くらいでしょうか、日常性ということを言ったら、そうなんだよと。ほとんど褒められたことがなかったので、うれしかったのです。日常性が課題なのは父も気付いていました。軽井沢の美術館は、硬直化してきていると。既存のお客様を守って、巨匠の作品があって、分かるやつだけ見に来いみたいになってきているということに、気付いていたんです。
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