セルフネグレクトの人にも「自由」に生きる権利がある

そうしたセルフネグレクトの人に対して、国や自治体はどのように対応していったらよいのでしょう。

:行政がもっと介入していくしかないと思います。しかし留意しなければならないのは、セルフネグレクトの人やゴミ屋敷の住人にも「自由」があるということ。タバコを吸っている人に「健康に悪いから」という理由で禁煙を強制できないのと同じように、セルフネグレクトの人たちも、明らかに他者に迷惑をかけているわけでなければ、行政が介入することが難しい側面があります。とくに、人生の終末期にある方については、他者がむやみに介入してはならない領域もあります。

 人は誰でも「愚行権」と呼ばれる自由権を有しており、たとえ他者から「愚か」であると判断されても、迷惑がかからない限り邪魔されないという自由を持つのです。

判断力の低下がある場合は行政はすぐに介入すべし

だとすれば、自由意思で支援を「拒否」する場合は、そもそも行政は介入できない?

:でも放置してよいということにはなりませんよね。 たとえ「愚行権」はあったとしても、老人福祉法では「老人は(中略)生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする」と定められています。WHO(世界保健機関)も「健康の向上は国の責務」であるとしており、これらを踏まえると、自由意思で「拒否」している人も、行政は辛抱強く見守り、生活が成り立っているかを定期的に確認していくべきであると私は思います。 一度拒否されたり、敵対視されたりしたらそれで終わりにするのではなく、繰り返しアプローチしていくことが大切です。

 先ほどもお話ししましたが、日本の高齢者は気兼ねをしたり、世間体を気にしたりして積極的に自己主張することが少ないのです。実際、私が保健師をしていた頃も「自分でなんとかできるから」「大丈夫だから来なくていいよ」「まったく困っていないよ」などと言われることが多くて戸惑いました。

 でも、それは「拒否」とは言い切れないのではないでしょうか? そうした人の中には、本当は背中を押してほしいのに、遠慮して本心を言えないという人が少なくありません。実際、そうした方々の寂しさに寄り添うことを心がけて繰り返し訪問していると、拒否していた人も徐々に打ち解けて、心を開いてくれるようになるものです。

 そのような「自ら支援を求める力が低下している人」を見逃さないようにすることです。そして、「このままの状態で病院を受診しないと、命に関わります」といったリスクを、相手に分かるように伝えることは、行政の最低限の責務だと思います。

 もちろん、本人の意思でセルフネグレクトに陥っているのではなく、認知症や精神疾患を患って判断力が低下していたり、自ら動けなくなって健康状態が悪化していたりするような場合は、明らかな支援の対象です。自ら支援を求めない、求められないからといって放置するのは、逆に行政による「ネグレクト」です。実際、生活にかかわる判断力や意欲が低下している場合や、本人の健康状態に深刻な悪影響が出ているような場合、行政は積極的に介入しています。

判断力が低下したり、健康上深刻な問題がおよんでいる場合は、行政はすぐに積極的に介入していくべきである。 (写真:PIXTA)

拒否されても粘り強く接触し、信頼関係を築く

テレビのワイドショーで報道されるゴミ屋敷の住人の方々は、とても気難しかったり、頑固だったりする人が多いように思います。あの方々の中にセルフネグレクトの人がかなりの割合で含まれているのでしょうが、地方自治体の担当者も、粘り強く関わっていくのは骨が折れるでしょうね。

:でも私の経験則から言えば、いったん信頼関係さえできればその後は「あなたに任せる」となって一気に様々な問題が片づくことが多いものです。保健師をしていた頃は、こちらの助言を受け入れてくれるようになるその瞬間こそが、私にとっての最大の喜びでありモチベーションの源でした。ゴミ屋敷に住んでいるような人は、本当は心根のやさしい人が多かったと思います。

 もちろん何度も通って嫌がられることはあります。言い方も難しい。例えばゴミの中で暮らしている方に、「こんなところで暮らしていると死んでしまうよ!」と上から目線で強く言えば、その人の価値観や生活を否定することになりかねず、へそを曲げられてしまうかもしれません。そうではなく、例えば「冬の寒い間、どこか温かいところに泊まりませんか」といった、相手のプライドを傷つけない言い方の工夫が成功につながることがあります。

 そして、単にゴミ撤去を目的にするのではなく、あくまでもその人が、その人らしい生活を送れるようにするための「本人支援」に力点を置くことが大切です。短期間で有無を言わせずゴミを撤去するようなやり方は、人権侵害につながります。

 「おせっかい行政」を掲げてきた東京都足立区では、何よりも本人支援を第一に考え、ゴミの片付けや撤去は二の次としています。ゴミの山だけを見るのでなく、その向こう側にあるものに目を凝らすのです。そもそも本人が抱えている本質的問題を解決できなければ、場当たり的にゴミを撤去しても問題は繰り返されるだけ。行政の対応にはまだばらつきがあるのが現実ですが、足立区のような自治体が増えることを望みます。