途上国の路上生活障害者を救うには、一体どうすればいいのでしょう。

石井:とても難しい問題です。国家による福祉政策の強化は、既にカンボジアとタイの比較でお話した通り、かえって路上生活障害者から希望や夢を持つチャンスを奪い、生き辛くさせる可能性がある。そう考えると「今ぐらいの方がいい」という見方すら成り立ちます。現地の状況は、一部に悲惨なケースは残り続けるものの、15年前に比べて劇的に改善し、その一方で、今のところは、彼らが希望を持てる社会的な緩さも残っている。
 ただ、今後、途上国で人口が一段と増えていくことを考えれば、そうも言っていられない。インドの人口が16億~17億人を突破していけば、現状のセーフティネットではとても貧困層を支えらません。先ほどのグローバル化ではありませんが、生きていけない貧困層が国外へあふれ出し、必ずや世界的問題になります。世界にとって新たな社会不安やテロリズムの温床になる。

それでも彼が書き続ける理由

仮に管理を推し進めるにしても、全ての路上生活障害者を救済するには気の遠くなる時間が必要です。無力感からこの仕事を始められたわけですが、世界はこのまま何も変わらず、無力感は今後も解消できないのでは、という不安はありませんか。

石井:無力感はあります。でも僕は書き続ける。ルポライターとして様々な辛い境遇にある人達を描き続けてきたわけですが、どんな深刻な問題も「(解決へ向け)やりようはある」と感じてきました。
 例えば、僕は今、子供を虐待して殺してしまった親の事件ルポ『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』(新潮社、8月中旬刊)を書いている。そこには、子供をウサギ用のケージに監禁し衰弱死させた夫婦などが登場します。世間は彼らを冷酷無比の鬼畜のような人間だと思っていますが、取材してみると違う。彼らは愛という感情を持っているし、自分達が子供を殺したことを本気で悲しんでいた。血も涙もない殺人鬼ではなく、ただ愛し方が分からないまま育ってしまった人達、と表現した方がいい。彼らと接すれば接するほど「(虐待問題の解決へ向け)全くやりようがない訳ではない、やれる余地はある」と感じています。彼らがそう育ってしまった“何か”を正すことができればいいのですから。

 では何をどう正せばいいのか。僕自身は最後まで具体的な解決法を思いつかないかもしれません。でも、僕の文章を読んだ誰かが、それを考えて実践してくれるかもしれない。だから、僕はこれからも悲惨な境遇にある人達を描き、彼らの光を一つ一つ見つけ、そこに「やりようがあること」を社会に示して行きたい。

なるほど。今日は、お会いできてよかったです。

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