そうして『物乞う仏陀』では、まずカンボジア編が描かれるわけですが、ここで読者はいきなり裏切られる。語弊があるとは思いますが、路上生活障害者の方々が意外なほど明るく楽しそうな印象を受けました。

石井:僕も、実際に彼らの日常に飛び込んだ結果、いい意味で裏切られたのを覚えています。「物乞いの日常は、悲しみと辛さに満ちている」と思っていたら、全然違う。自分なんかより人間として遥かに強く、逞しいことに驚いた。確かに、取り巻く環境は辛い。でもその辛さを彼らは笑い飛ばしていた。

アンコール遺跡があるシェムリアップで出会った、地雷障害者で左足のないリンさんなんて、酒好きで、女好きで、何というか“元気”なんですよね。

石井:その強さの源は何だろうと考えました。カンボジアには他にも、地雷で負傷した物乞いが多数いますが、考えてみれば、本当にどうしようもなく辛ければ、人は死を選ぶと思うんです。でも、生きているってことは、彼らの日常にも何か光があるからだと考えました。濃密なコミュニケーションを取って分かったのは、カンボジアの物乞いたちの多くは夢を持っていた。話に出たリンは、自動車修理業を立ち上げたいと本気で思っていました。

地雷で左足を失っても夢を持てる「ラフな世界」

そうなんですか。

石井:日本では、路上生活者が社会復帰して事業を立ち上げるなんてまず難しい。でも、当時のカンボジアならできてしまう。複雑な許可も要らないし規制もない。仲間と工具を揃え道端でパンク修理でも始めれば、その日から彼らにとってはもう開業です。そうやって事業を大きくした元・物乞いも現実に沢山いた。だからリンだけでなく多くの物乞いは、今の状況を抜け出したら「あんなことしよう」「こんなことしよう」と本気で考えていました。夢があるから明るいんですよ。もちろん、将来の夢を誓ったその日から、酒を飲んだり、買春したりして散財してしまうこともあるわけだけど、それでも夜になると「明日、ツアー客が来て、まとまったお金が手に入ったら開業しよう」などと笑いながら話しているんです。

逞しいですね。

石井:当時のカンボジアのような「ラフな世界」では、極論すれば生きていくのに現金が必要ない。観光客が少なくて収入がなくても、どこかの店に入れば水はもらえるし、トイレも貸してもらえる。配達を手伝えば余り物を分けてもらえることもある。それが、国が少し発展して国家による福祉が充実してくると、逆に、物乞いにとって辛い環境になったりする。例えば、タイがそうです。

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