成長鈍化が顕在化してきたものの、中長期的には依然、世界経済発展の原動力として期待されるアジア新興諸国。少子高齢化の影響で国内のパイ縮小が避けられない日本企業も、引き続き市場攻略に力を入れている。
だが、経済面で急成長してきたアジアの国々の一部には、日頃のニュースからは見えてこない底知れない闇がある。貧弱な福祉政策と、それに伴い社会から弾き出され一部は裏社会に吸収された膨大な路上生活障害者だ。仕事や旅行で現地を訪れた際、路上生活障害者の数と、その一部が“明らかに不自然な障害”であることに違和感を抱いた人もいるのではないだろうか。普段報じられることはないこの新興国の闇を追い続けてきたルポライター、石井光太氏に話を聞いた(この記事には残酷な表現が含まれています。苦手な方はご注意ください)。
(聞き手は鈴木信行)

1977年、東京都生まれ。アジアの路上生活者や障害者を訪ねる旅をまとめた『物乞う仏陀』、手足を失ったインドの子供の成長を追った『レンタチャイルド』、世界最底辺の人々の生活を写真とイラストで紹介した『絶対貧困』など著書多数。最新刊に児童書の三冊シリーズ『きみが世界を変えるなら』。近刊として、我が子を殺害した親をテーマにした事件ノンフィクション『「鬼畜」の家』が8月中旬に刊行予定。
アジアの路上生活者や障害者を訪ねる旅をまとめた衝撃のノンフィクション『物乞う仏陀』を上梓されて10年以上経ちます。なぜこの分野に興味を持たれたのですか。
石井:大学1年生の時にアフガニスタン・パキスタンへ旅したことがきっかけです。1990年半ば、当時は冒険的な海外旅行が学生の間で流行っていました。秘境に行けばそれだけ自慢できる時代で、たまたま友人の1人がインドへの冒険行を武勇伝のように話していたんです。だったら、自分はもっと凄い場所に行ってやろうと地図を見たら、インドの北にパキスタンとアフガンがあった。初めての本格的な海外旅行でした。
内戦で揺れていた危険地帯に敢えて足を踏み入れたのは、もう1つ、理由がありました。この頃から僕は既に「将来は物書きになりたい」と考えていたのですが、一方で、純文学にせよエンタテインメントにせよ、物書きとして身を立てるだけの強烈な「何か」が自分には足りないという自覚がありました。ならば、その「何か」を恣意的に作るしかない。「アフガン・パキスタン国境を旅する」という他人がやっていない体験を積むことでその「何か」を手にすることができるのではという思いもあったんです。
「眼球のない少女」に何もしてあげられない無力感
だが、パキスタンとの国境沿いにあるアフガン難民キャンプで想像以上のショックを受けられます。地雷で両足を吹き飛ばされた少年、顔中に火傷を負った老婆、眼球がなく、顔に陥没した黒い穴だけがある少女…。戦地からの逃亡者を前に言葉を失ってしまう。
石井:彼らが極めて悲惨でかわいそうな環境にあることは、日本のテレビ番組で見ていたから、目の前の事実自体はある程度、受け止められました。それ以上にこみ上げてきたのは、そんな状況を前に何もできない自分に対する無力感でした。逃げるように帰国した僕はその後、大学生活を続け卒業するわけですが、その間もずっとアフガンとパキスタンでの体験が心の中に残っていて、いつかは克服せねばならない“自分の中の壁”になっていた。同時に、「あの悲惨さの裏にある彼らの日常を知りたい」とも思うようになった。そこを書けば、ルポライターとして、沢木耕太郎さんや藤原新也さんとは違うものを表現できるのではないかと思ったんですね。本格的に旅に出たのは2002年の夏、卒業から1年半後のことでした。
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