世の中は常に、変わり続けていると。

石上:そうです。いつでもどこにでも、無常の風が吹いている。証しを必要としない、この世の事実です。それなのに、人は時々の姿に執われて、嘆き悲しんだり、喜んだりしてしまう。これが「私」の姿です。思い通りになれば嬉しくて、ならぬ時には腹が立ち、涙します。

 ビジネスの場面でも同じことが言えます。会社の規模がずっと拡大し続けるとか、自社の製品がずっと売れ続けるとか、常に自分を理解してくれる上司に恵まれるとか。変わることなく思い通りにコトが続いてくれればラッキーですが、そんなことはあり得ないでしょう。経営環境が変わって会社が赤字に転落したり、新たな競合企業が登場して製品が売れなくなったり、上司が突然かわってプロジェクトが中止になってしまったり…。予想外のことが、普通に起きるのです。

変わることは常、と心得る

 その時、恐らく多くのビジネスパーソンは対応に苦しむことでしょう。しかし、人生に苦しみはつきものなのです。

 『ダンマパダ』という経典は「こと・ものすべて無常なりと智慧もて見とおす時にこそ、実に苦を遠く離れたり。これ清浄にいたる道なり」と教えています。清浄とは、執われのない完全に清らかな境地、悟りの世界のことです。

ただ、普通のビジネスパーソンはなかなか、悟りの境地に至ることはできません。

石上:大切なのは、変化する世俗の難局に対し、諦めずどう対処するかです。「変化こそがチャンス」と喝破して、一代で事業を成功させた経営者がおられました。対処能力のあるなしは、生きていく上で欠かせない大事なポイントです。

変わることが常なのだという心構えをしておくことで、生き方が楽になるというわけですね。

石上:そうですね。真実に目覚めた人は執着することがなくなり、何事も淡々と受け入れることができるようになります。

 ただ、そうは言っても人は仏様ではありませんから、なかなか完全には悟れない。日々「私」に執われます。私自身がそうです。飛行機が乱気流に巻き込まれて急降下し激しく揺れれば、「まだ生きていたい、死にたくない」と生にしがみつきます。おそらく人生の最後まで、この世の中にしがみつくことでしょう。

 腹がすわっているかと問われれば、すわっていません。臨終の良し悪しなど見当もつかない。その時は、なるようにしかならないと今も思っています。「それでいい」と智慧ある言葉を仏様から聞かせていただいている。ありがたい。生死の一大事は“オマカセ”。任せられなくても、いやだいやだといくら抵抗してみても、そうなる時にはそうなるのです。お任せした上は、精一杯やるだけです。

組織で働く人にも同じことが言えると。

石上:誤解していただきたくないのは、最後は仏様にお任せと言っても、それまでの生き様はとても大切です。変わっていくこの世の中にあって、一生懸命生き抜くことが大切です。

 精一杯努力し、その時々の変化の姿に、執われない、逆らわない。得意にならず、おごらず、愚痴らないようになれれば素晴らしい。少しでも仏様の心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるよう努めることが尊いのです。

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