親が元気なうちに子がしておくべき事は、ほかにある
内藤:私の個人的な意見ですが、親子でする実家の片づけの場合は、親が元気なうちにしておくべき事はほかにあると思うのです。それは、親御さんが本当に気に入っているモノは何か、何を残したいのかといった、親の価値基準をよく聞いておくこと。モノについてばかりではなく、土地や建物はどうしたいかや、お葬式やお墓などに関する意向、財産の保管場所や種類、人間関係などについても話を聞いておくと、いざという時の心の負担がずいぶん軽くなります。
モノの整理というのは、持ち主がご存命かご存命でないかで一変します。持ち主がお亡くなりになって「遺品」となった瞬間に「光景」が変わるのです。生前、親子のコミュニケーションが不足していると、子供の側では捨てていいものかどうか判断がつきません。たった一着の洋服にも、「これはあのとき、私の服と一緒に買ったもの…」などと思い出がわきあがってくる。そうして迷い始めると捨てられなくなってしまうのです。
ひと昔前なら、残された一族郎党が集まって、一緒に遺品の整理を進めたり形見分けをしたりしたのでしょうが、今は少子化の進展により、残された一人、二人の遺族で判断して行なわなければならないですしね。
ならば、やっぱり「生前整理」が必要なのでは?
内藤:いえ、そうではありません。さきほど申し上げたように、生前に捨てるという作業はとてもデリケートなのです。亡くなった方の遺品の片づけとか、実家の片づけというのは、モノの99%を捨てること。しかし生前であれば親御さんはそこで暮らしていらっしゃる。
そこで暮らしているなら、99%を捨てるなどそもそもできないですし、せいぜいできても20%くらいの量を捨てるくらいでしょうか。結局、生前に大半のモノを捨てるなど不可能、それがリアルです。親と喧嘩をしてまで無理にモノを捨てるというのは、本末転倒でしょう。生前は、親から子への「引き継ぎ」に徹するだけで充分です。
「引き継ぎ」ができていれば、幸せな片づけができる
「引き継ぎ」とは?
引き継ぎとは、「何を残してほしいのか」「何は捨てていいのか」「家は将来どうしてほしいのか」「家を売却してしまってもいいのか、それとも賃貸に出して残してほしいのか」といった判断基準を親子間で共有しておくこと。それができていれば、残すべきモノは見極められるものです。逆にその引き継ぎができていないと、後々まで引きずって、親御さんがお亡くなりになった後、何年も手つかずになってしまいがちです。
例えば、お父さんのスーツが30着残されたとして、生前に「これが一番のお気に入り」というのを聞いておけば、その1着を「形見」として残してそれ以外の29着は処分できるものです。「お父さん、もしくは、お母さんはああ言っていたから」と自分を納得させ、“罪悪感”や“後味の悪さ”を最小限におしとどめて整理・処分することができます。要するに、親が処分の方法を決めておいてくれれば、子供は判断する必要はないのです。
いっそ、何かに書いておいてもらった方がいいかもしれませんね。
エンディングノートが「終活」の一環として流行っていますが、エンディングノートには自分が死んだらこうしてほしいということをしっかり書いて、残される人たちに確実に「引き継ぐ」べきだと私は思います。
「物」について、「人間関係」について、家などの「財産」について、そして今世紀になって必須になった「“デジタル遺品”関連のIDとパスワード」について──その4つの引き継ぎを確実にしておくことが大切です。
モノについては「何が大事か」「何を残してほしいか」ということ。人間関係については、「自分が死んだときに誰に知らせてほしいか」ということ。そして、財産については「銀行預金はどこにいくらあって、通帳や印鑑はどこにあるか」「残った家はどうするか」「借金はあるか」「有価証券や、不動産の権利証について」「美術品や骨董品、貴金属はどうするか」といった類のことですね。
4つ目の“デジタル遺品”関連の情報というのは、具体的にはパソコンのログインID/パスワードや、ネット上のサービスのログインID/パスワード、スマホのパスワードなどです。そうした情報は、遺品整理業者には調べようがありません。
こういう親子間のコミュニケーションが不足していると、親御さんが亡くなった時に片づけができずに、中に大量のモノを“冷凍保存”したまま実家を空き家にしてしまう。その結果、日本全体が“空き家列島”になってしまうのです。
逆に、親子間の良好なコミュニケーションがあった家庭は、幸せな片づけをすることができるでしょう。

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