「世界史」と「地政学」がにわかに注目を集めている。メディアの報道を見ると「地政学的リスク」という文字があちこちで躍る。書店では「○○の世界史」というタイトルが棚を占める。地政学とは何なのか。世界史とはいかなる関係にあるのか。地政学と世界史を学ぶと、世界で起きているニュースはどのように理解できるのか。『世界史で学べ! 地政学』などの著書がある茂木誠氏に聞いた。
(聞き手 森 永輔)
「地政学」という文字を頻繁に目にするようになりました。この言葉の使われ方を見ていると、「世界史」と何が違うのだろうという疑問が浮かびます。

茂木:まず「歴史」についてお話ししましょう。事実の羅列・記録は歴史ではありません。なので年表は歴史とは言えません。年表を歴史にするためには歴史観を加える必要があります。たくさんある出来事の中で、どの事実に注目するのか、ある事実ともう一つの事実はどういう関係にあるのかを解釈するための視点ですね。
私が高校時代に習ったのは世界史ではなくて年表だった気がします。その年表すら十分に覚えることはできませんでしたが。
茂木:同じ事実を見ても、その解釈の仕方は幾通りもあります。その解釈の視点の一つが「リアリズム」という考え方に基づいて歴史を見る方法です。「歴史には正義も悪もない。生存競争を続けているだけ」とする歴史観です。地政学は「リアリズム」の一つで、地理的条件に注目して国家の行動を説明します。
学者や教科書の執筆者は自分の歴史観を示すのを嫌がる傾向があります。歴史観は多様なので、異なる歴史観を持つ人から必ず批判されます。それを恐れて、事実の羅列に終始するのです。
他の国の歴史教育も、事実の羅列にとどまる傾向があるのですか。
茂木:例えば米国には検定制度がありません。だから、教科書会社がそれぞれの歴史観に基づいた教科書を出版しています。日本への原爆投下を「仕方がなかった」と解釈する教科書があれば、「必要なかった」と書いているものもあります。
日本の学会はこの半世紀にわたって事実に重きを置く実証主義とアイデアリズム(理想主義)に重心を置いてきました。アイデアリズムというのは、世の中は「進歩」「統一」「戦争のない世界」などの理想(アイデア)に向かって動いているという歴史観です。
例えば国連中心主義というのはアイデアリズムに基づいた考え方の典型例です。日本もこれに則って、第2次世界大戦までの行動を反省し、国連の一員として活動し、軍備を制限すれば平和に貢献できると考えてきました。
ところが、周囲を見渡すと、どうもそうなっていないことが肌感覚として分かってきました。それが、世界史と地政学が注目を集めるようになった原因なのだと思います。
悪である共産主義が打倒され、冷戦が終わった。自由と民主主義の世界が実現し、紛争はなくなるだろうと米国の思想家フランシス・フクヤマ氏が『歴史の終わり』で論じました。しかし、そんな世界は到来しませんでした。中東は大混乱に陥って、過激派組織の「IS(イスラム国)」が登場。中国は海洋進出を強化。ロシアもウクライナ問題に介入し、西側に対して再び対決姿勢を取るようになりました。
こうした現実を説明する手段として、リアリズムが注目されているのだと思います。
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