睡眠時のREM睡眠とEMDRとの類似性

眼球を左右に動かす動作は、どのくらい繰り返すのですか?

白川:ケースバイケースでその都度違いますが、大体、このくらいの速さで、このくらいの回数やります(と言って実際にやってみせてくれる。目で追うのがやっとくらいで結構速い)。私の場合、ターゲットとなるトラウマ記憶を思い浮かべてもらいながら、普通、左右25往復くらいを20秒くらいで行っていますね。そして1回の治療でこれを何セットくらい行うかは、やはりケースバイケースです。

 ターゲットとなる記憶を思い出しながら左右に眼球を動かす間に、当初思い浮かべていた記憶と関連した別の記憶が思い浮かびますので、クライアントはその時、思い浮かんだ記憶を医師やセラピストに伝えます。その記憶を対象にして再び左右の眼球運動を行い、また新たに思い浮かんだ記憶を医師やセラピストに再び伝える──という手続きを繰り返していきます。

 対象とするのは、記憶だけでなく、感情や身体感覚であることもあります。EMDRで記憶も、感情や感覚も「適応的情報処理」されていき、症状が改善していきます。トラウマ記憶がそのように処理されていくと、いずれはセピア色の記憶へと変化していくことができます。

非常に不思議なプロセスですが、EMDRのメカニズムとは一体、どのようなものでしょう?

白川:EMDRがトラウマやPTSDなどの病態に対し、どのようなメカニズムで効果をもたらすかについては、いくつかの仮説は考えらえていますが、明確な答えはまだ出ていません。EMDRが発表された当初から、睡眠時のREM睡眠(Rapid Eye Movement)との類似性が指摘されており、眼球の動きと記憶の間には関連があると考えられていますが、まだ十分に解明されたとは言えません。しかし、比較的短時間で成果を得ることができ、安全な手法であることについては多くのエビデンスが出ています。

 EMDRのコアとなる部分は、「両側性刺激」にあると考えられています。両側性刺激には、視覚だけでなく、触覚や、聴覚を刺激する方法もあります。一般的な方法は、左右に眼球を動かす方法ですが、私の場合は、クライアントの体の左右(例えば左手と右手など)への交互のタッピングを併用して治療を進めています。音声によって、左右への「両側性刺激」を与えるケースもあります。

EMDRについては、かねてから睡眠時の「REM睡眠」との類似性が指摘されている。(画像:PIXTA)
EMDRについては、かねてから睡眠時の「REM睡眠」との類似性が指摘されている。(画像:PIXTA)

「両側性刺激」により、記憶の情報処理が促進される、と。

白川:そのように考えられています。もっとも、両側性刺激によって促進される情報処理システム自体は、私たちの脳が本来備えている自然なシステムなのです。ふだん私たちは落ち込んだり不安になったりする経験をすると、その経験についてのネガティブな記憶にアクセスするたび、その時の状況を想起したり、考えたり、人に話したり、夢に見たりしながら、徐々に落ち着きを取り戻していきます。やがて、新しい理解や意味づけを行いながら、さほど気にならない記憶になっていくというフローをたどるのが一般的です。これを専門用語で「適応的情報処理」がなされるとか「適応的解決」をみると呼びます。適応的解決をみた記憶は、単なる過去の経験として認識できます。

 しかし、トラウマやPTSDのような、心の処理能力を超えるほどの強度を持った記憶の場合は、このフローのどこかが阻害されて止まってしまっていて、適応的解決には至りません。経験は苦痛をともなったまま冷凍保存されたままです。しかし、EMDRを用いると、孤立していた否定的な記憶が活性化され、その人の中の肯定的な記憶や情報と結びつくことにより、さきほどのフローが再び動き出し、自然な情報処理が促進されていくのではないかと考えられています。

 これは、「オセロゲーム」で黒(否定的な認知)が優勢であっても、隅に一枚白(肯定的な認知)が入るだけで全部白にひっくり返ってしまうようなイメージに少し似ているかもしれません。苦痛を減らすだけでなく、適応的な情報処理が進むと「良いもの」が増えるのです。実際に、例えば、虐待被害による後遺症を主訴として来た方の治療後に、それまで忘れていた親に関連した「良い記憶」が思い出されて、関係が改善した方もいらっしゃいます。

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