無一文で盛り場を徘徊し、やくざや女に追われ、全国を放浪した男がいる。世川行介氏。国立大学を出て、父親から地方の郵便局長を継いだまではよかった。株で失敗して郵政の世界から追われ、歌舞伎町、千葉、大阪、北陸、上野、入谷などを野宿しながらさまよった。その間に数々のノンフィクションを生み出した世川氏は、昨年から小説家に転じた。構想10年という歴史小説3部作は、やはり放浪の旅で生まれていた。
私が世川さんと最初に会ったのは2001年でした。株に失敗して郵便局長を辞めて、歌舞伎町を放浪していた頃ですね。それから2年後、風俗嬢ややくざの生き様を描いた『歌舞伎町ドリーム』(新潮社)を出版したのはよかったけど、そこに出てくるやくざに頭をかち割られて、新宿から逃げ出しました。

世川行介氏(以下、世川):そうですね、あの時は千葉に逃げました。もう2度と歌舞伎町には戻れないと覚悟して。そして、『郵政――何が問われたのか』(現代書館)を書き上げて、今度は大阪に飛んだ。でも、新聞社や出版社から取材依頼があって、2006年に千葉に戻ってきたんですね。そして、津田沼や船橋のネットカフェを転々として過ごしていました。
大阪にいた頃は、たまに夜行バスで東京に戻った時、八重洲で飲みましたね。かなり、やつれていた感じでした。
世川:もうやることがなくなってしまったからね。郵政も民営化されてしまったし。だから、それまで応援してくれていた特定局長たちが、僕に用がなくなったわけです。それまでは「カネがない」と言えば送金してくれたんだけど、民営化でぴたっと止まった。
「なんだこいつら、そんなもんか」。そう吐き捨てても、どうにもならない。そこから2年間、僕は本当に文無しだった。ちょっと誰かがカネを送ってくれると、それを持ってマージャン屋に行って小金を稼ぐ。そうやって食いつないでいたわけです。それが終わると、宿もなければ食べるものもない。だから、よく野宿をしてました。
ホームレスパーティー
それで、北陸に放浪に出た。
世川:そうですね。郵政本を出した翌年のことでした。暮れになっても書く意欲もないし、終わりだと思って、日本海を旅しました。
今だから言うけど、東尋坊に行こうと思ったの。身を投げようとね。でも、途中でおカネが尽きちゃって、富山で降ろされた。別に、富山に行きたかったわけじゃないんです。まだ粉雪が降っている2月のことでした。あてもなくうろついて、富山の城跡の公園のベンチでコートをかぶって寝ようとするんだけど、寒くて眠れないんですよ。
タバコを買おうと思ってポケットに手を突っ込んだら200円しかない。ショートホープを1個だけ買うんだけど、スカスカだからすぐなくなる。しょうがないから、落ちてるタバコを拾って朝までしのいだ。それで朝、公衆電話に10円玉を投げ込んで、友人が出たら「オレだ、世川だ。至急、カネを送ってくれ」と言ってすぐに切る。さすがにヤバそうだと、送ってくれる人がいました。
カネが振り込まれると、それを握ってまたマージャン屋に行くわけ。麻雀をやっている間は宿代もかからない。稼げば木賃宿に泊まれるし。
稼げないと?
世川:富山駅の構内で過ごすんですよ。でも、深夜12時に待合室が閉められてしまう。すると、ホームレスがみんな集まるの。それで、「お前も来いよ」と言われて、「いや、いいです」と。で、僕は横で眺めていたんだけど、どっからともなく料理が出てきて酒盛りをやっている。旅館のごみ箱からあさってくるらしいの。俺はそれをずっと眺めていたわけ。
それで朝5時になったら、また待合室が開くんですよ。寒いから、私もぱっと入ったら、吐きそうになった。ホームレスの体臭や悪臭がまざって、鼻を突くんです。そんなことを何回かやりまして、富山では生きていけねえな、と思ったんですね。
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