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源光:この話を説明するには、当時のゼネコンで本当は何が起きていたか、まず話さねばなりません。

 バブル期は当然のことながら建設ラッシュで、多くの企業が、工場であれ社屋であれ、設備投資意欲が旺盛でした。建設会社は競いあって受注を積み重ねたのですが、その際、横行したのが「バーター取引」でした。顧客の商品を購入することによって、仕事をもらう。これが当たり前の世界でした。銀行も積極的に金貸しをする。サラリーマンの節税対策の1つとして不動産投資を活用するなんていうのもありました。

 ゼネコンの社員は半ば強制的に、たとえ借金をしてでもマンションなど高額商品を購入するのが当たり前だった。金を使うこと、借金をすることは正義という時代でした。もちろん、バブルが膨らんでいた時期には、税金の還付もあってそれは心強い資産運用になりました。

でも、経済が逆回転し始めると、高いレバレッジを掛けた投資は…。

源光:バブル崩壊は1991年。関西にバブルの影響が93年頃でしたか。借金を背負い込んでの投資は当然私もやっていました。そしてあの日がやってきます。

1995年1月17日…。

源光:ここでも私は仲の良かった親しい幼なじみを何人も失います。この間、私は離婚も経験しました。さらに、住んでいた社宅が半壊となり出なければいけなくなりました。自宅を確保すべく大阪に新たに一軒家を購入します。この時、業界としては阪神大震災があり、復興特需があってまたバブル期のような盛り上がりを見せます。ただ、そのミニバブルもあっという間に過ぎ、1997年頃には会社が大規模なリストラを敢行したのです。年収ベースで25%の減少。さらに、2回目のリストラではピーク時の半分になった。

 毎月の支払いが給与と同額になり、与信枠があるとはいえとても生活していけません。計算すると、向こう3年以内に自己破産することが分かりました。それが1998年のことです。私は一連の出来事を通じて人間のはかなさと、カネに振り回される人生のむなしさを嫌というほど同時に味わいました。

…。

この世界に居場所はそうそうなくならない

源光:その頃、私は震災を機に大阪の千日前にある坊主バーに出入りするようになっていました。自分が求めてきた仏法がここにあると感じました。失意の中でバーを訪れる多くを失った人々、それを支えようとバーを通じて明るく仏の道を説く僧侶たち…。そこで繰り広げられる光景を見て、強く思ったんです。「俺の居場所はここにあったんだ」って。

よかった。居場所はあった。やっぱり、この世界に居場所はそうそうなくならない。

源光:会社に辞表を提出したのが1999年。僧侶の資格を取ったのが2001年です。大阪の坊主バーで働くなどして資金を貯め、東京・中野に坊主バーを開いたのが2004年でした。そこから先は紆余曲折、いろんなことがありましたが、おかげさまで今日もこの小さなバーを続けられています。

途中で心が折れることはありませんでしたか。