「オープンイノベーション」を掲げて、スタートアップとの連携を模索する大企業が増えている。だが、簡単ではない。日本の企業文化にはびこる「人脈」のねちっこさや、スタートアップに対する大企業の「外注意識」が障害に。“二足のわらじ”を履き続け、常にオープンな立ち位置で様々なイノベーションに関わってきたリンクトインの村上臣日本代表に話を聞いた。

リンクトイン 日本代表
1977年2月生まれ。青山学院大学在学中に携帯電話向けのコンテンツなどを製作するベンチャー企業・電脳隊に参画。大学卒業後、野村総合研究所に入社したものの1年足らずで電脳隊が設立したジョイントベンチャーのピー・アイ・エムに“復帰”。2000年、同社とヤフーの合併に伴いヤフーに入社。11年にヤフーを退社したが、呼び戻される形で12年にヤフーのチーフ・モバイル・オフィサー(CMO)に就任した。ヤフーのモバイル事業強化が一段落した17年に退社。同年11月から現職。(写真:竹井俊晴、以下同)
昨年11月にビジネスSNS(交流サイト)リンクトインの日本代表に就任しました。それまでヤフーのチーフモバイルオフィサー(CMO)として、モバイル事業強化の先頭に立っていたわけですが、まずはリンクトインで何をなさっているか、改めて教えて下さい。
村上 臣(リンクトイン 日本代表):ようやく4カ月ほど過ぎて、こちらの仕事の進め方に慣れてきたところです。
今、社員は20人くらいですが、その中で僕は、2つの顔があるんです。1つは、カントリーマネージャーとして日本のビジネスを見る仕事と、もう1つは、日本向けのヘッド・オブ・プロダクトとしてサービスを開発する仕事です。主軸はプロダクトの方で、ビジネスはサブで見ているという立ち位置です。ちなみに、プロダクトの担当は日本では僕だけなんですよ。
他の社員は何をしているのですか。
村上:皆、お客様をサポートする営業部員です。ビジネスのリポートラインはシンガポールにもう1人、ボスがいるので、日本の社員は僕の直接のリポートラインにいるような、いないようなという関係です。
だいたい、僕はいつも、そういう“二足のわらじ”系の仕事の仕方が多かったわけです。
二足のわらじですか。
村上:ええ。ビジネスのチームは東京にいますが、プロダクトのチームは本社のプロダクトグループの中に僕が見ているジャパンチームがあるんです。この両方を見ているんですね。
そもそも、僕は大学生のときも“四足のわらじ”くらい履いていました。学生をしながら、趣味が高じて秋葉原のDOS/Vパソコンを売っている店で販売員のアルバイトをしていました。
そうこうしているうちに、電脳隊(モバイルコンテンツなどを開発するベンチャー)を手伝うようになって、それとは別に個人でも開発を受託していました。ホームページを作成したり、社内LANを設置したい会社やグループウエアを導入したい会社などから相談を受けたり、必要なマシンをどこかから買ってきたり、そういう仕事です。
ヤフーにいたときも、ヤフーがある六本木と、ソフトバンクがある汐留を行ったり来たりしていました。電脳隊がヤフーに買われた2000年から2006年ごろは、ひたすらヤフーモバイルを作るエンジニアだったんですが、2006年にソフトバンクがボーダフォンを買収する前くらいから、ソフトバンクが作ったBBモバイルという会社にヤフーから出向して、一緒にプロジェクトを検討していました。それ以来、ヤフーのモバイルプラットフォームの開発をしながら、ボーダフォンにも出向していました。
子供のころから、一カ所にとどまれない性格でしたか。
村上:何でしょうね。多分、性格というのはあると思います。部活も2つ入っていましたから。まあ、飽きっぽいというのもあると思いますが、その方がどちらもパフォーマンスが出る感じがするんですよ。
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