「成長を促す魔法の言葉」など、ない

向後:横の関係が既に両者の間にできあがっていさえすれば、ほめても構わないと私は思います。繰り返しになりますが「ほめてはいけない」というのは、例えば「よく頑張ったな」などという言葉によって縦の依存と支配の関係がつくられ、ほめ言葉によって相手を支配するといった“悪用”が簡単にできてしまうためです。横の関係ができあがっているのであれば、その心配はないので、ほめたっていい。横の関係の人からの言葉には人は自然に耳を傾けるものです。逆に言えば、縦の関係であるときや、そもそも両者の間の関係ができていないときに、いくらほめても「勇気づけ」の効果はないでしょう。

 ちなみに、「成長を促す魔法の言葉」といったたぐいの書籍が巷にはたくさん出版されていますが、言葉だけで相手を成長させるということはありません。それよりも重要なのは相手との関係性です。相手との横の信頼関係があれば、相手の眼をみてニッコリするだけで勇気づけになることもあります。魔法の言葉など存在しない以上、そのときの自分と相手との関係性の中で、最適な言葉や態度を考え出していくしか方法はありません。

「ここにいていいのだ」という感覚があれば、やっていける

アドラー心理学の中にある「他者に承認を求めない」という考え方については、私も納得しました。誰かの期待を満たすように生きていたら、消耗してしまうのは間違いないですからね。とはいえ、誰かに認められたいという気持ちは、かなり根源的な欲求のようにも思います。承認を求めない姿勢を続けるのは、なかなか難しいのでは。

向後:承認欲求は誰しもが持っているもので、それ自体が悪いものではありません。ただ、承認されたいがために何かをするという目的設定は不適切です。たとえ、自分に欠点があり、承認を得られないとしても、欠点も含めて自分を受け入れる「自己受容」がまず必要であり、他者による承認の前にまず、完璧でない自分をそのまま100%自己受容できていること、自分を好きでいることがまず重要です。

 少し脱線しますけれども、じつは「承認欲求」という用語はそもそも、アドラーより40年近く後の世代の心理学者、マズローの用語で、アドラー心理学では「承認欲求」という用語はあまり使いません。書籍『嫌われる勇気』の中に「承認欲求を否定する」という項目があり、「アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します」と書いてありますから、読者の方々にはその印象が強いのかもしれません。

 アドラー心理学では、「承認」ではなく、むしろ「所属」を大きなテーマに掲げていると私は考えています。所属とは、言い換えるならば、自分の「居場所」であり、周りの人にどのように受け入れられるかです。「自分はここにいていいのだ、ここにいればやっていける」という感覚があれば、所属がうまくいっているということです。所属の問題は、人生の始まりから終わりに至るまで常に重要な問題です。

アルフレッド・アドラー(1870年~1937年)。上の写真撮影は1930年。アドラー心理学は、人間性心理学のアブラハム・マズロー(1908年~1970年)など後年の心理学者に大きな影響を与えた。実際に、マズローはニューヨークでアドラーのもとに通って多くのことを学んでいる。マズローは「私にとって、アルフレッド・アドラーは、年がたつにつれてますます正しいものになる」と書いている。(写真:IMAGNO/アフロ)
アルフレッド・アドラー(1870年~1937年)。上の写真撮影は1930年。アドラー心理学は、人間性心理学のアブラハム・マズロー(1908年~1970年)など後年の心理学者に大きな影響を与えた。実際に、マズローはニューヨークでアドラーのもとに通って多くのことを学んでいる。マズローは「私にとって、アルフレッド・アドラーは、年がたつにつれてますます正しいものになる」と書いている。(写真:IMAGNO/アフロ)

「所属」の感覚がないと、椅子はあっても居場所がない

「所属」の感覚が得られないと、どのようになりますか。

向後:例えば学校で「所属」の感覚がうまく得られないと不登校になるかもしれませんし、職場では出社拒否になるでしょう。言ってみれば、椅子はあっても居場所がない状態だと言えます。

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