地方を活性化するためには、地方の企業が元気になる必要がある。ただ、地方には経営人材が不足しているため、伸び悩んでいる企業が多い。だからこそ、大都市圏の経営人材を地方に送り込む──。そんなミッションを与えられて発足したのが日本人材機構だ(設立は2015年8月7日)。株式会社ではあるが、株式のすべては日本航空(JAL)などの再建を支援した「地域経済活性化支援機構」が保有する。つまり、日本人材機構は「公的機関」と言って差し支えない。
経営人材を都会から地方に送る。お題目としては理解できても、すぐに腑に落ちなかった。人材斡旋を生業とする民間企業はいくらでもある。そんな業務を、公的機関がやったら民業圧迫ではないか。そもそも、「地方には経営人材なんていないんでしょ…」的な、上から目線も大いに気になるところだ。
もちろん、地方が活性化することは日本経済にとって有益だ。「地方創生」を重要施策に掲げる政府が積極的に関与するのもおかしなことではない。ただ、やり方に違和感を抱いた。
そこで日本人材機構に取材を申し入れた。何と、社長を務めているのは小城武彦氏だった。元通産官僚でカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)に転職。その後産業再生機構に移り、カネボウや丸善の社長も務めたあの小城氏だ。日本人材機構に対する疑問を、率直に小城社長にぶつけた。
(聞き手は 坂田 亮太郎)
地方の企業を活性化するために、都市圏から経営人材を送り込む必要があるということは以前から言われてきました。ただ、政府が関与することには違和感を抱きます。
小城:そもそも弊社は、時限の組織なんですね。
7年間でしたか?
小城:マックスで2023年(平成35年)の3月末までです。僕らは5年ぐらいで閉じたいと思っていますが、まず時限ということはすごく大事だなと思っているんですね。
国が関与するということはマーケットを歪めるので、それが永続するようなことはそもそもするべきでない、という気持ちが僕には大変強い。自分がいた産業再生機構も4年で解散しましたが、そういった思いが強いです。
小城武彦(おぎ・たけひこ)氏
1984年東京大学法学部卒業、通商産業省(現経済産業省)入省。91年米国プリンストン大学ウッドローウィルソン大学院修了。97年カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)入社、99年同社取締役。2000年ツタヤオンライン社長(兼任)、2002年CCC常務。2004 年には産業再生機構入社し、カネボウ社長に就任。2007年丸善社長、2010年丸善CHIホールディングス社長、2013年社長退任。2015年4月に日本人材機構の社長に内定(現職)。(写真:北山 宏一、以下同)
小城:ただ、やはり今は市場ベースで人材が動いてないというのも事実です。そのボトルネックを解消しにいくという仕事は必要と考えています。
日本人材機構を解散したときに、都市部から地方へ人材が流れていくことが日本の新しい常識になるようにしたい。これが僕らのミッションであり、ゴールに定めています。
20年前を思い出してください。日本では大企業に務めている人がベンチャー企業へ転職というのは、当時なら相当珍しかった。でも、今ならもう当たり前の選択肢になっています。同じようなことが、この人材機構でもできないかと思っています。
新しい常識にするまでには、ボトルネックを取り除く必要がある。つまり民業でうまくいっていない部分に、官製ファンドからお金を入れて、うまく回る世界を作る。この流れができあがったら、僕らは撤退する。そういう役割と認識しているので、国が一時的に関与するのもありだ、と思っています。
小さな会社の大きな仕事
都市部で働いてきた人に対して、地方で働くことにどんな魅力があると訴えていくのですか。
小城:僕は地方ではないんですが、非上場のオーナー会社で働いた経験があります。
CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)ですね。
小城:当時のCCCはまだまだ小さかった頃で、仕事がすごく面白かった。会社は小さいけれども、仕事のスコープ(対象)は大きく、しかも深かった。小さい企業の仕事というのは、ものすごく醍醐味があると感じました。
これは個人の考え方によると思うんですけれども、要は自分1人の意思決定で本当に物事が動いてしまうとか、あとは会社の意思決定がすぐ市場に影響を与えて、お客様の反応がダイレクトに返ってくる。すごく事業のリアリティーがあって、それって仕事の醍醐味だと僕は思いました。直前、僕は役所にいました。ものすごいでかい組織で、ある種、歯車なんです。
組織がどんなにデカくても、自分は歯車の1つに過ぎない。
小城:自分がやったこともいろいろな人のチェックが入ったり、自分が発案したこともずいぶん形が変わってしまったり…。役所ではそんなことが多かった。ところが小さな会社では、オーナーの許可をいただくことが必要なんですけれども、自分が意思決定したことがそのまんまダイレクトに反映されて、それがそのまま市場に出て、結果の白黒もすぐにはっきり見える。この事業のリアリティーというか、ダイナミズムが、自分にとっては新鮮だった。「仕事ってこうなのか」とすごく強く思ったんですね。
地方ではオーナー会社がほとんどです。なので、いま申し上げた、仕事の面白さや醍醐味、自分の意思決定の重さとかを味わえる機会がある。だから東京や大阪の大企業にお勤めの方で、自分の本当の力を試したいと考えている人に、こういう働き方もありますよということをお伝えしたい。単純に、東京対地方ということではないんです。
役所を辞めてCCCに移ったとき、1人の人間としての力が試されているのだなと実感しました。大きな組織の肩書きがなくなって、自分は何ができるのかいうところを見つめ直す機会でもあったんですね。その経験で自分は鍛えられたので、転職は自分がストレッチする機会でもあった。結局、小さな会社の大きな仕事というか。
小さな会社にこそ、大きな仕事がある、と。
小城:そうです。なので、そういった仕事の場が地方にたくさんあるということをもっと多くの人にお伝えをしていきたい。
東京にいると、地方の会社の情報って極めて少ないじゃないですか。知らなければ、転職先の候補にもならない。そのために、地方にはこんな有力な会社があって、そこではこういう人材を求めていますということをもっとしっかりとお伝えしたいと思っています。
まずは、僕を含めた人材機構のスタッフがオーナー経営者に直接お目にかかる必要があると思っています。僕は長く東京にいたので、お恥ずかしながら存じ上げなかった会社さんもあるのですが、こんなにも有力な会社が地方にはあるんだということに驚いています。ただ、オーナー経営者がお一人でいろいろな戦略を立て、ご自身で悩まれていたりするケースが非常に多い。
成功事例を一つずつ積み重ねていく
オーナー企業においては、特に事業継承は大きな課題です。
小城:オーナー経営者ってやっぱり会社の運命を背負っていらっしゃるので、ご自身でいろいろなことをお考えになっている。けれども、そこにちょっと違ったキャリアとか問題意識の視点を持った人間が入って、オーナーをサポートすることによって、その会社が持っているポテンシャルがもっと大きく花開く。そういうことはすごくあり得るなと思っているんですね。
なので、大都市のビジネスパーソンにとって、地方の企業が転職先の有力な選択肢になり得るんじゃないかと思っているところですね。我々、日本人材機構はそこの部分をお手伝いしたいと思っています。
地方のオーナー経営者にしても、大都市から人を採用するということがこれまでリアリティーのある選択肢になっていませんでした。
人脈がないからですか?
小城:そうです。相談相手もいないし、ルートもない。かつ、そもそも「ウチみたいな会社に大企業のエリートが来てくれるのか?」と悩んだり、「大都市の人がこの地域に馴染めるのか?」という不安もあるんですよ。
そのためにも、僕らはやはりオーナー経営者とまずしっかり経営課題を共有させていただいて、その会社さんが発展をしていくためにどういう課題があって、その課題を解決するために、どういう人材が必要なのかを一緒に考える。そういうスタンスが必要だと思っています。
送り込む幹部人材というのは、どういう人を想定しているのですか。
小城:ケース・バイ・ケースです。オーナー経営者やその企業のニーズをまずはしっかりと把握して、それに合った人をマッチングします。年齢は若い人がいいというオーナーもおられれば、ベテランがいいという方もおられます。30代から50代、60代まで幅広い層を考えています。
だから、こちら側の人材はたくさんいるので雇いませんかというアプローチはしません。繰り返しになりますが、その地方企業はまずどういう課題を抱えていて、何をすればその課題を乗り越えることができそうだということをまずしっかり議論させていただいて、その上で、それに沿った人を探しにいくというスタイルですね。
そうすると一つ一つの案件に、かなり入り込むということですね。
小城:かなり時間を使いますね。でも、まずは成功事例を一つずつ積み重ねていくことが、まずありきかなと思います。1年間で何人を送り込むというような数値目標も対外的には言っていません。政府の施策ですから当然、PDCAはしっかりと回していかなければなりません。しかし、数値目標が一人歩きしては元も子もない。与えられた時間は限られていますが、初めのうちはしっかりと手作りで進めていきます。
東京のエリートが地方を救ってやるという上から目線じゃだめですよね。例えば、東京の有名企業で役員まで務めた人を落下傘で投下したとしても、うまくいくとは限らない。
小城:そういうことですね。僕らもどんな人材なのかということをしっかりと見極めないといけない。従って肩書きだけじゃ分からないです。中堅企業の場合、1人でいろいろなことができなきゃいけないんですよ。自分の専門はこれだからこれしかできません、という人では難しいので。
雇用を維持することが人に優しいとは限らない
小城さん自身は役所を飛び出て、複数の会社で社長も務められました。最初から転職を意識していたのですか。
小城:大学を卒業するときに自分の特性を分かっている人って極めて少ないと思うんですよ。やっぱり仕事をしながら自分はどんなことに向いているのかということを見つけていくものだし、またその特性自体も変わっていくものでしょう。
だから今の終身雇用を否定するつもりは1ミリもないんですが、日本では最初に勤めた会社で「どこか違うな」と感じながらも、ずっと同じ会社に居続ける方も多いと思うんです。それは大変、もったいない。
日本という国は天然資源もないし、人材こそが唯一世界に誇れる資源だと、僕は昔から強く信じているんです。ただ、その貴重な人材をこの国は本当に生かし切れているのかということについては、大変大きなクエスチョンマークを抱いてきました。これはずっと前から、役人の頃から思ってきたことです。
僕自身も役人を辞めてみて、いろいろな仕事をさせていただく中で、学生のときにはまったく思ってもみなかった自分に気づいたり、もしくは自分の能力がストレッチしながら広がっていくということを体験してきました。それって結構ワクワクするんですよ。そうしたワクワクする感覚をもっと多くの方に味わってほしいと思っているんですね。
「飼い殺し」という言葉があるぐらいですから、大企業で力を発揮できていない人はごまんといるのでしょう。そういう人に勇気を出して、セカンドキャリアを切り開いたらどうですかというようなことを訴えたいということなんですか。
小城:僕がやろうとしてきたのは、日本という社会で人材の力をどうやったらもっと引き出せるかということです。実は、30代のときに自分のライフミッションをそれに決めちゃったので、いろいろ転職してはいるんですが、自分としては同じことをやっているという意識なんです。
日本人材機構から話をもらったとき、地方の活性化に役立つということはもちろんあるのですが、もう1つは僕が以前から考えてきた人材の力を引き出すということにつながっている。この2つがあったのでお受けしたんです。自分としては大変やりがいがあって、かなりモチベーション高くやっているんですけどね。
ただ、企業側が従業員に対してセカンドキャリアを勧めることは、少なくとも日本では難しいですね。日経ビジネスでも「40歳定年説」を打ち出したら、読者からかなりの反発が来ました。
小城:会社は社員に対して「辞めろ」と言うのではなく、「1回棚卸しをしよう」と言えばいいんじゃないかと思います。自分は自分の能力を本当に発揮しきれているのかということは、やっぱりみんながもっと考えてもいい。企業の人事部はそういうメッセージを出してもいいと思うんですよね。
「退職勧告」みたいに受けとめられてしまうリスクがあるから会社側は躊躇していますが、本当に人を思う会社であれば、「お前、この仕事に向いていないじゃないか」というのを若いうちに言ってやった方がいい人もいると僕は思います。仮に30代の前半ぐらいで言ってあげたら、いくらでも転職のチャンスはある。
別に1つの会社に合わなくたって、それはその人の人格を何も否定するものではなくて、相性が合わなかったということです。大学生の就活で決めた会社に入って、何か違うなと思いながら50歳を超えてから肩をたたかれる方がよっぽど残酷ではないでしょうか。
やみくもに雇用を維持するのが人に優しいとは限らない。
小城:僕は思わない。だって本当にいい上司って、部下を厳しく叱るじゃないですか。僕もこれまでの人生の中ですごく罵倒されてきましたけど、そういった厳しい上司って本当に自分のためを思って言ってくれるのであれば本当にありがたい。逆に、厳しいことは何も言わず、まあまあと丸く収めちゃうような人って、管理職として良くないなと思いますね。だから、その人の人生を真剣に考えたら、「別の道もあるんじゃないか」と言ってあげてもいいと思うんですよ。
最後に、昨年12月には1号案件として瀬戸内ブランドを推進する組織に、外資系金融機関で社長経験もある水上圭氏を選びました。その狙いを教えてください。
小城:人材機構のミッションは大きくわけて2つあり、1つは地方の企業に経営人材を送り込むこと。もう1つが地方を面として支えていく人材を送り込むことです。水上さんの場合は後者になります。
水上さんのポジションは、瀬戸内で観光事業をやっている複数の会社を応援する新設組織なんです。ある種、面的な効果、その地域を広く活性化することを狙っています。要は産業集積を活性化するという、そういう役割になった組織です。
第1号案件はたまたま後者のパターンとなりましたが、今後は両方バランスをとりながら、地方に経営人材を送り込んでいきます。
「共通の目的があれば周囲の人と協力できる」
《瀬戸内ブランド推進体制における観光関連事業者に必要な資金支援や経営支援などを行うための事業化支援機構(仮称)の社長に就任した水上圭氏にも話を聞いた。》
なぜ、瀬戸内で働くことを決めたのですか?
水上 圭 (みずかみ けい)氏
1965年7月生まれ(50歳)。88年慶応義塾大学法学部政治学科卒業、山一証券入社。その後博報堂、スリーアイ・アジア・パシフィック・ジャパン、日本みらいキャピタルを経て2004年CVCアジア・パシフィック・ジャパン入社。2005年12 月同社代表取締役就任、2015 年7月同社退社。94年米ミシガン大学経営大学院修了MBA取得。
水上:私は今年50歳になります。大学を卒業してから山一證券に入り、その後外資系金融機関で働いてきました、特に直近の10年間は社長も務め、M&Aが日本経済に貢献できればいいなと考えてきました。大きなプロジェクトが終わり、自分の中でやり切った観があった。60歳までの残り10年間、何をするか。これまでの経験を生かせないかと考えていたところ、話をもらいました。
今回のプロジェクトは瀬戸内海を囲む7つの県が協力し、各地の金融機関が一体となって、瀬戸内の観光資源を活性化する仕事です。とてもやりがいのある、魅力的な仕事に映った。
実際に、自分の眼で瀬戸内を見て回りました。瀬戸内海の沈む夕日の美しさ、自然があって、文化、温泉もある。観光地としてものすごくポテンシャルがあるのに、自分のような東京に住んでいた人間や外国人にはその魅力が伝わっていない。
ポテンシャルがあるのに正当に評価されていない──。投資の世界からすれば、それは成功の余地があるということです。だから、やり方さえ間違わなければ成功の可能性は高いと考えています。
地方で働くことに家族は反対しなかったのですか?
水上:特に大きな反対はありません。前職でも平日は毎日忙しくて、自宅に帰るのは夜中という生活でした。今は単身赴任で、平日は瀬戸内にいますが、週末は東京の自宅に帰ります。だから、実質的に家族と過ごす時間はそれほど変わりません。
正直に言えば、報酬は大きく減りました。ただ、これまでも報酬を優先して転職先を決めたことはありません。自分がやりたい仕事かどうかを大事にしています。
縁もゆかりもない土地で疎外感はないのですか?
水上:やっぱり東京もんとして扱われることはありますよ。周囲で働いている人の中には「なんだコイツは?」と思っている人もいるかもしれない。ただ、私はこれまでにもいろんな人と信頼関係を築いてきた。瀬戸内ブランドを高めるという共通の目的があるので、周囲の人と協力して頑張っていきます。
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