大人も「心」を中心にして、生活全体を遊ぶべし

最近出版された、『仕事なんか生きがいにするな』では、もっと日常の中の遊びや余裕を重視した方がいいというようなことを書かれています。追い詰められたビジネスパーソンが精神の危機から脱するために、具体的にどんなことをすればいいのでしょうか。

泉谷:小さな子供が無心で遊ぶように、大人も「心」を中心にして、生活全体を遊ぶべきなのです。ただし、それは大人ならではの成熟した遊びであり、頭脳を駆使した創造的な遊びになるでしょう。身近なところで具体的に言えば、料理とか日曜大工、音楽などもよいだろうと思います。実際にそういう「遊び」を仕事にまでしてしまった人もいます。

 私のクリニックに来ていたクライアントの方で、もともとはかなりのエリートと言われるような職業についていた方がいるのですが、休職中に遊びの一環であるモノづくりに熱中するようになりました。すると、どんどん元気になっていって、ついには会社も辞めて、そのモノづくりを職業にしてアトリエを開きました。つまり、そのクライアントさんは自分の「鉱脈」を掘り当てて、生きる意味を取り戻すことができたわけです。

 現代人は、もはやハングリーに働かなくてもさすがに死ぬほどのことにはならないのに、「働くことこそ生きること」という“労働教”にいまだに洗脳されたままなのです。戦後すぐの時代の人々がハングリーに働くことが不可欠だったのは事実ですが、今はもう、そういう時代ではありません。にもかかわらず、日本人は「ハングリーモード」のスイッチを戻せなくなってしまっている。生きる手段に過ぎなかった「ハングリーに働くこと」自体が、自己目的化してしまっているのです。もっと一人ひとりが「生きる意味」を大切に生きてもよいのではないでしょうか。

「ごはんが食えなくなる」ことはない

しかし、会社を辞めて仕事にまでしてしまうというのは、一般の人には危険な発想ではないですか。

泉谷:そんなことはないと思います。よくみなさん、思い切った転身をしようとする人に対して「ごはんが食えなくなる」などとおっしゃいますが、私は「本当でしょうか?」と申し上げたい。今の日本で「食えなくなる」といっても、戦争直後の切実さとはまったく異なると思うのです。今はアルバイトもたくさんあるし、生活保護もあるし、どうにかして生きていける。

 むしろ、「あの人は社会から落伍した」とか、「負け組だ」などと世間から思われるのが、多くの人は嫌なのだと思うのです。「ムラ社会」の発想から抜けていないのです。辞めるときに同僚から「馬鹿だな」と言われたら、「馬鹿でーす!」と開き直ってもよいのではないでしょうか。世間的にうまくいっていると見られている人も、いつかは落伍するかもしれないし、それが人生でしょう。そして、誰でもいつかは必ず死ぬわけです。世間に振り回されている人が、最後に一番馬鹿を見るのではないでしょうか。「心」が本当にやりたいことをやらない人生なんて、後悔してもし切れません。

 みんなもっと「キリギリス」になった方がよいのではないかと私は思うのです。「アリ」のように未来のためにコツコツと働いているだけでは、「今を生きる」前に死んでしまいます。

 ある現代音楽の作曲家が、亡くなるときに「本当はバッハのような美しい音楽を書きたかった」と後悔したそうですが、それなら最初から自分の「心」の本当の声を聞いて、美しい音楽を作ればよかったのではないでしょうか。本当にやりたいわけではないことの中で消耗する人生よりも、最後に「おもしろかった」と言えるような人生を歩むことが、やはり人間にとって一番大切なことではないだろうかと思います。