杉田:私は中学までは公立の学校で、高校は私立の青山学院高等部に行きました。英語との本格的な付き合いは、青山学院大学の経済学部を出た時、大学の先輩に、当時、朝日新聞社が発行していた英字新聞の「朝日イブニングニュース」の記者をしている人がいて、誘われるままに入社したのが始まりです。

 新卒で右も左も分からない社員に、実に丁寧に指導していただいたと思います。当時私を誘ってくれた先輩もAP通信社に転職し、それから米国のコロンビア大学ジャーナリズムスクールに留学しました。

 そのような中で私も自然に大学院を目指すようになり、米国のオハイオ州立大学ジャーナリズム学部に留学しました。幸いなことに、学費を免除され、毎月300ドルの奨学金も支給してくれました。

シンシナティの地元紙に縁あって就職

英語でお仕事はされていましたが、それが初めての海外暮らしだったということですね。しかし米国の大学院のジャーナリズム学部であれば、英語ネーティブの中でも文章の腕に覚えのある学生ばかりだったのではないですか。

杉田:その通りです。みな、自分の文章力はすごい、と自信を持っている学生ばかりで大変でした(笑)。修士課程は2年間でしたが、卒業論文を書くと1年で卒業できることが分かり、必死になって論文を仕上げて、1年で修了することができました。その後、オハイオ州の地元紙「シンシナティ・ポスト」に就職しました。1972年のことです。

72年というと、米国の地元紙で働こうなどという日本人は大変珍しがられたのではないですか。

杉田:それが、たまたまその時のシンシナティ・ポストの編集局長が東京特派員から戻ったばかりの人で、日本に関心があったのです。「面白そうだ」ということで採用してもらえました。運がよかったと思います。

シンシナティといえば、大手日用品メーカーP&Gの本拠地ですね。いろいろ取材されたんでしょうか。

杉田:もちろん、シンシナティはP&Gの城下町みたいなものですから、よく取材しました。72年は、P&Gが日本進出を果たした年で、日本のメディアに、「P&Gが日本製の洗濯機を多数輸入して洗剤のテストをしている」という記事を見つけ、P&G本社の広報に見せてほしいと交渉したこともあります。残念ながら見せてもらえませんでしたが(笑)

 大学も経済学部でしたし、もともと経済に関心があったので、「あらゆる現象はビジネスに通じている」というスタンスで、とにかく何でも取材しました。シンシナティには日本食レストランが既に3軒もあったので、食べ歩きのレポートを書いたり、使い捨ておむつがまだない時代でしたが「布おむつレンタル」というビジネスが流行っていると聞いては取材したり。