デジタル技術を駆使した「デジタルアート」の先がけとして知られるチームラボ。2016年は「チームラボアイランド 踊る!美術館と、学ぶ!未来の遊園地」や「DMM.プラネッツ Art by teamLab」などの大型展示が注目を集め、幅広い世代に作品を知られるようになった。
知名度は、海外でもうなぎのぼりだ。台湾、韓国、シンガポール、米国などで常設展を持つ。昨年、米シリコンバレーで開催した個展は、あまりの好評ぶりに、展示期間を当初よりも約半年延長した。1月25日からロンドンのペースギャラリーで始まった個展「teamLab: Transcending Boundaries 」も好評を博し、チケットは発売後すぐに“瞬間蒸発”した。
ロンドンのペースギャラリーで開催中の「teamLab: Transcending Boundaries」(写真:永川 智子、以下同)
英フィナンシャル・タイムズ、英BBCや米CNN、フランスのル・モンドのほか、世界のアート誌が、「今もっとも面白いアート集団」として注目する。その評価と扱いは、日本のそれをはるかに凌ぐ。なぜ、彼らの作品は海外でこれほどにウケるのか。その秘密を、ロンドンを訪れたチームラボ代表の猪子寿之氏に聞いた。
猪子寿之(いのこ・としゆき)氏 チームラボ代表 1977年生まれ、徳島市出身。2001年東京大学計数工学科卒業時にチームラボ設立。チームラボは、様々な分野のスペシャリストで構成する「ウルトラテクノロジスト」集団。特定の事業は定めず、技術、科学、アートなどの垣根を越えた創造活動を生業としている。
ロンドンで開催中の個展のタイトルは、「teamLab: Transcending Boundaries 」です。境界を超越することをテーマに据えた狙いを教えてください。
猪子 :従来、作品というのは境界があるよね。例えば、(壁にかかった絵を指して)これは誰かの作品で、額縁があって明確に境界が示されている。当たり前だけど。『ひまわり』と『星降る夜』はどちらもゴッホが描いた作品だけど、そこには境界があるよね。彫刻も彫刻がない場所と彫刻がある場所には境界がある。
けれど、もしかしたら境界というのは必然じゃないかもしれない。例えば自分の頭の中を考えたら、そこから生まれるコンセプトや考えはどれも独立している。けれども、境界はあいまいだよね。新しい考えを得れば、それまであった別の考えは影響を受けるかもしれない。
頭の中にあるそうした考えを現実の世界に存在させるためには、今までは物質を媒介させるしか方法がなかった。だから、必然的に境界というものが生まれたのかもしれないと思っていて。
普段、当たり前に存在すると思っている境界はなくても、実は作品は独立して存在しているのかもしれない。「境界」と「独立」という概念はセットではない。境界がなくても独立して存在できる。今回の個展はそんな世界を表現している。
展示は、3つの部屋で合計8作品を展示しています。メインの部屋の6作品は、今の話の通り、それぞれの作品が枠を超えて他の作品へと繋がっています。
猪子 :8つの作品はまったく別々のコンセプトなんだけど、それぞれの境界があいまいだったり、互いに影響を与え合っていたりしているんだよね。
VIDEO
Universe of Water Particles, Transcending Boundaries
例えば、この動画作品(上に掲載した動画)「Universe of Water Particles, Transcending Boundaries」。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではなくて、デジタル技術で描いた滝が、リアルタイムで壁から床へと流れていく。その流れの途中に鑑賞者がいると、水流は足元で割れる。鑑賞者が作品を見ながら、作品自体に影響を与えている。
この滝には、もう一つの作品「境界のない群蝶、儚い命」から、蝶の群れが入ってくる。蝶は展示空間を自由に飛び回って、ディスプレイ作品も含んだ色々な作品の中を横断しながら飛び交う。花々の作品の花が咲くと花の方に寄っていったり、花がなくなるとそっちには寄っていかなかったり。作品は、こうして相互に影響を与えあっているから、境界はあいまい。だけど、8つの作品は独立している。
美の基準が変わると産業が変わる
面白いですね。作品の反響も凄まじく、展示前から、米ウォール・ストリート・ジャーナルなどが取り上げていました。チケットも瞬間蒸発でなくなりました。これほどの関心を持たれているのは、なぜですか?
猪子 :本当のところは分からない。分からないんだけど、何か「美の基準」を変える可能性があるかもしれないと感じているのかもしれないよね。
「美の基準」ですか?
猪子 :もうちょっと分かりやすく言うと、人が「かっこいい」と思う基準。
すべての行為というのは、実は合理性による行動よりも、美の基準によって決定していることの方が圧倒的に大きい。例えば自分の着ている服って、多くの人が合理的な判断で選んでいるわけじゃないでしょう。
でも、人はなんとなく「かっこいい」ジーンズに惹かれたりする。だから、この「かっこいい」という基準は、人の行動に大きな影響を与えているんだよね。
そして、歴史的に、美の基準が変わるということは、人類の行動が変わるんですよ。その結果、新たな産業が生まれたり政治が変わったり。産業構造そのものが変わることもある。
アートにはこの「かっこいい」の基準を変える可能性がある。それは時に産業にとてつもなくインパクトを与えてきた。
例えば、アンディ・ウォーホールというアーティストがいた。彼が登場したのは1960年代だけど、当時、パリコレクションは、全てが一点物のオートクチュール(高級仕立て服)。つまり、大量生産されているものは価値の低いものとされていた。
ところがウォーホールはそんな時代に、誰もが知っているマリリン・モンローの写真や、どこにでも売っているスープ缶を大量に並べた作品を発表した。ウォーホールの作品をかっこいいと思ってしまったことによって、「みんなが知っているもの」はかっこいいんだ、という風に価値基準が変わっていった。結果的に大量生産されているものは決して格好悪いものではないと。
そのインパクトは大きかった。ラグジュアリーブランドというのは当時、ルイ・ヴィトンって2店舗しか店舗がなかった。でも今では、世界の富裕層が大量生産されたものを高級品として購入している。ラグジュアリーブランドというのは今、オーダーメードをやっていない。大量生産したものを高級品として扱っているよね。だから、ラグジュアリーブランドという産業は、美の基準が変わらなければ生まれなかったかもしれない。
もちろん、人の行動が変わったから、それがアートに投影されているという見方もできる。どちらが先かは厳密に言えないかもしれない。それでも、美の基準を変える行為は緩やかに人類の方向性を決めたり、変化のスピードを拡大することに等しいと思っているんだよね。
そうした「美の基準」を変えるかもしれないアートに、海外の優良なメディアは常に注目していると。
猪子 :直感的に知っているのか、歴史的に知っているのか分からない。けれど、この1年ちょっとで、フィナンシャル・タイムズも、ガーディアンも、ル・モンドも、ウォール・ストリート・ジャーナルも、CNNも、BBCもみんな面白がってチームラボを何度も取り上げてくれる。
我々は、アートコレクティブ
具体的に、デジタルアートはどのように「美の基準」を変える可能性があるのですか。先ほど述べていた「鑑賞者自身が作品に影響を与える」というのはとても分かりやすい変化ですが。他にもあるのですか?
猪子 :例えば、物質的じゃないもの。物質的には実在しないものだからといって、価値が低いわけではない、むしろかっこいいんだというのも一つだよね。物理的に実在しなくても高級であるというか。物質からのある種の解放。境界がないことはすごく気持ちいい。展覧会で表現しているのもこのことだよね。
アートというのは個人のみから生まれるものではない、という主張もそうかもしれない。チームラボは、集団的創造によるアートというものの考えをずっと続けてきたんだよね。だから、海外では「アートコレクティブ(アート集団)です」と言っている。
普通、有名な作品は、誰か一人の作品が多いよね。ピカソとかゴッホとか。作品の作者は、基本的に一人。だけど、デジタルアートは集団的創造にとても向いている。
今回展示した「花と人、Transcending Boundaries - A Whole Year per Hour」で使っている花は、昔から使っている花のコンポーネントを、独立してどんどんアップデートしている。
デジタルアートの制作は、基本はいくつものコンポーネント(部品)の組み合わせ。個々の部品をバージョンアップして、別の作品にも使っている。だから、僕らの作品を見て、制作にどれくらいの時間がかかったのですかと聞かれると困っちゃう。「花」のコンポーネント自体は昔から延々と制作しているものだから。
ちなみに、僕がインタビューを受けているのも、便宜的に僕がチームラボの代表だからというだけ。制作物はいつも集団、チームでやる。展示にいくときも、10人くらいのサーカス団みたいな感じで。
これからの時代は、個人の能力の差がより組織に影響を与えるんだけれども、アウトプットは集団の創造になっていくと思っているよ。
チームラボは、もともとIT企業という印象が強かったと思いますが、今はアート集団と見られることが多いんですか?
猪子 :昔から変わってないですよ。創業から特に事業を定めていない。創業期からアートを創り続けてきた。では何でアートに興味があるかというと、それはさっきも言った通り、人間の世界の見え方を変える可能性があると思っているから。
自分はもともとサイエンスとアートがすごく好きで。サイエンスは世界をより見えるようにすることだと思うし、アートというのは世界の見え方を変えることだよね。
世界をリードする人にとってアートは必須
チームラボも、やがてウォーホールのように産業にインパクトを与える可能性はありますか?
例えば仮にチームラボが、デジタルアートで成功するとする。例えばプロジェクター。今でも既に、シンガポールのナショナルミュージアムにある建物の空間を全部、プロジェクターで覆った作品なんかを発表しているわけです。
それが世界的なメディアに露出している。仮にそれがいいとなる。美の基準が変わるとする。美の価値基準が変わって、デジタルアートで空間を覆う方が、従来の空間デザインなんかにとって変わっていくかもしれない。そうしたらプロジェクターのメーカーには、新しいマーケットが生まれるかもしれない。
だって、これからアジアですごい数の高級ホテルが建っていく。物質的に空間をつくるより、デジタルで空間をつくった方が高級だとなったら、高級な建材に代わって、高級ホテルにも市場が生まれるかもしれない。そのうちの1割がそうなれば、プロジェクターのメーカーには莫大なマーケットでしょう。
しかも、アート作品に必要なのは最高級の製品。プロジェクターを開発しているメーカーにとっては、ものすごく大きなビジネスが転がっている可能性はあるよね。
だから、企業もアートに注目しているという面はあるのですか。
猪子 :世界をリードする人や企業にとってアートは絶対必要。そして、海外で実感するのは、日本の人が思っているよりもアートというのは、経済に影響を与えるということ。
枠組みを変えることのみが、新しい産業を生んだり、何かの産業を加速させたりする。決して、アートのマーケットサイズだけを見て判断していては、理解できない。
日本ではそういう視点でアートを見る企業や人はいませんか。
猪子 :日本の例えば広告クリエイターはニューヨークの広告産業を見ている。日本のファッションはニューヨークとかパリのファッションを見ているよね。でも世界のトップはアートを見ているんだよね。
別にトッププレーヤーにならなくてもいいなら、日本のファッションはパリとかニューヨークを見れば十分で、別にアートを見る必要はない。彼らをフォローしておけばいいから。でも、トップになりたいのであればアートは必要。美の基準が変わっていくことがすごく重要なことだから。
境界をめぐる戦いが始まる
チームラボの表現する「境界のない世界」が広がる一方で、現実の世界では、英国や米国を始めとして「国境の壁」が復活する機運も高まっています。
猪子 :グローバルな体験をしてよかったという経験があるかどうかの違いが、大きな差を生んでいると思う。グローバリズムというと何かすごくビジネス的な言葉になるけど、海外に1年間住んで視野が広がってよかったとか、何か自分の価値を評価されたとか、ささいなことまで含めて体験したことがある人は、境界がないことがいいことだと知っている。
けれど、老人とか田舎の人とかは、境界をつくってほしい、つくった方がいい、と思っているでしょう。多くは境界がない世界を体験してないからだと思う。これまではそんなに強く守らなくても境界というのは明確にあった。しかし、放っておくと今は境界がなくなっていく。だから、より強い意志で境界をつくろうという人々が出てきている。
だから、これはすごい戦いになるんじゃないの。おぞましい戦いになると思う。
アートはこうした世界を変えることはできますか?
猪子 :境界がない世界というのは素敵だという体験を、できるだけ多くの人にしてもらいたいなと思っている。
境界のない世界が論理的に良いと訴えるよりも、そういう世界を体験して、それはすごく気持ちいいと感じることがいいなと思っている。僕らを応援してくれて、展覧会を世界の色々な場所で展開できたら、少しずつ変わっていくかなと思っているよ。
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