自らの足で世界を旅し、その目で世界を見ながら、本当の自分とは何かを探し求める。そんなバックパッカー生活に若い頃、憧れた人はごまんといるはず。とはいえ、それを実行できた人はどのくらいいるだろうか。
学生時代に短期間、一人旅をする程度であれば、その気になれば誰でもできる。が、長期間、放浪生活を続けるのは覚悟が必要だ。最大の不安は帰国後の生活設計。日本企業の多くは、新卒中心採用を続けており、職歴に空白がある人材の採用に消極的な会社も少なくない。実際、ネット上には、「20~30代、アルバイトと長期旅行を繰り返すと、まともな社会参加ができなくなる」といった声も。悩んだ揚げ句、リスクを恐れて普通に就職し、釈然としない気持ちを抱えて年を重ねている人もいるに違いない。
だが本当に、自分を探し続けた人(バックパッカー)の末路は悲惨なのだろうか。元バックパッカーの経営者に、自身のバックパッカー経験と旅が終わった後に待ち受けていた現実を聞いた。逡巡しながらバックパッカーを目指そうとしている若者にも、若かりし頃の夢を実現できなかった大人にも、全ての人に読んでもらいたい末路シリーズ第2弾。
聞き手は鈴木信行

1970年埼玉県生まれ 大学卒業後、経営コンサルティング会社に入社。人生初の海外旅行で行った上海で旅人になろうと決意、退職してバックパッカー生活を送る。帰国後いくつかの会社を経て、日本で初めてのヒーリンググッズ卸売となる株式会社ヴィジョナリー・カンパニーを設立。
まずはご自身の半生を振りかって頂きたいんですが、大学を卒業された後、一度は普通に就職されているんですね。
大塚:ええ。経営コンサルティング会社に入社し、2年11カ月在籍しました。。
筋金入りのバックパッカーと聞くと、学生時代から旅にはまり、就職活動もせず放浪を続けるみたいなイメージがありましたが。
大塚:自分は全然違います。学生時代は、キックボクシングを体育会でやっていてバックパッカーなんて関心がありませんでした。生まれて初めて飛行機に乗ったのは25歳の時です。
バックパッカーとしては遅いデビューの気がしますが、きっかけは何だったんですか。
大塚:1つは就職してから会社という制度に違和感を抱いたことでした。仕事そのものは嫌いではなかったのですが、例えば入社の時に「3年間は転勤なし」と言われたにもかかわらず入社後3週間で石川県に転勤させられたんです。人の一生を左右する重大なことを、会社の都合の名の下、平気で押し通そうとする組織に対する違和感ですね。
また組織の中に、ロールモデルにできる先輩がいなかったことも大きかった。衝撃だったのは、上司がファミレスのポイントを必死に貯めていて、僕のポイントまでせびって来たことです。このままこの会社にいていいのかなと思いました。
人生を変えた上海・ドミトリーでの熱い体験
なるほど。ただ、そのくらいまでは多くの人が体験することですよね。
大塚:そんな時、3年目に有休を取って中国に一人旅に出たんです。上海と南京を往復したんですが、最終日に上海のドミトリーで、ある経験をします。同じ宿に40代、20代の日本人バックパッカーが泊まっていて、話をしているわけです。20代の方が「アフリカに行きたいが、パキスタンからイランに抜けるにはどうすればいいのか」なんて質問して、それに40代が答えていたんですが、それはもう自分の知らない色々な話が飛び交う。40代の方はキラキラしていて、格好よくて。「ああ、自分も、この人みたいに自分の人生を自分の言葉で語れるようになりたい」と強く思いまして。
典型的な展開ですね。
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