安部真行・花王執行役員情報システム部門統括(右)と日高信彦・ ガートナー ジャパン代表取締役社長(写真:的野 弘路、以下同)
花王が研究所を設立し、AI(人工知能)に取り組みはじめたのは1980年代にまでさかのぼる。業務を最適化する仮説を立て、モデルをつくり、データに基づいて検証する姿勢は花王の文化になっている。そうした企業分野や人材について、花王の安部真行執行役員情報システム部門統括にIT(情報技術)リサーチ大手ガートナー ジャパンの日高信彦代表取締役社長が聞いた
前編:『
花王では最新技術を「きれいにする」ために使う』
(構成は谷島宣之=日経BP総研上席研究員、戸川尚樹=ITpro編集長)
日高:花王さんは最新のITを常に経営に生かしてこられました。当たり前のように淡々とやられているし、長く続けられています。経営者が代替わりしていっても、同じようにずっとやっている。一つの文化があると強く感じます。
安部:文化と言えるのかどうかは分かりませんが、数字で物事を見ていくことが昔からわりと得意だ、と言えるかもしれませんね。
最近AI(人工知能)についてしばしばご質問を受けます。AIそれ自体にまだそれほど取り組んでいるわけではなく、いくつかのトライをしている程度なのですが、やってみると、AIというか、ビッグデータのアナリティクスというか、そういうデータ解析の基礎になる土壌が当社にあると実感します。あまり違和感なく、取っつけると言いますか。
AIを使う狙いは自動化であったり最適化であったりします。最適化のロジックを考える活動は1990年代からやっていました。1990年代にロジックを開発して、モデルを用意し、在庫を極小にしながら欠品も減らしていくという活動をして、実際に成果を上げた先輩がいたのです。
数字をきちんとおさえ、物事を見ていく
もう少し詳しくお話すると、1990年代のもう一つ前の1980年代、ニューラルネットワークの理論が出始めたころですね、当社は人工知能の研究を基本においた「知識・情報科学研究所」といった組織と、マテリアルサイエンスへの間接的な貢献を目的とした「数理科学研究所」をつくりました。そこに入った方々がロジックやモデルを開発して在庫と欠品の削減に取り組んだそうです。
日高:経営やビジネスを科学的に見ていこうという取り組みがかなり前からあったのですね。
安部:さらにさかのぼると、花王には商品開発の5原則というものがあります。社会にとって本当に有用なものなのか、自社の創造性が盛り込まれているか、コストパフォーマンスに優れているか、消費者の方にテストしてもらったか、その商品の情報を消費者に伝えられるか、です。5原則を徹底しようとすると、数字をきちんとおさえて物事を見ていくということになります。
日高:ファクトに基づいて考え、行動するわけだ。
安部:もともとケミカルの会社で化学者が多かった。そういう言い方がよいかどうかわかりませんが、理系の会社といえば理系の会社です。コンピューターもずいぶん早くから導入していました。数字を扱っていくのは得意だったのでしょう。
日高:今で言うデータサイエンティストの集まりですよね。30年くらい前から取り組みを始めていたと。
安部:これはもう諸先輩の努力ですね。自社の話で恐縮ですが、現場もそうですし、さっきの研究所の設置にしても当時の経営者は先見の明があったのかなと思います。
日高:需要予測と生産計画を絡めて、在庫と欠品を両方減らす取り組みは、花王さんのビジネスを考えると難しかったでしょう。気候変動の影響もあれば、流行り廃りもある。モデルを作るのは簡単ではなかったのでは。
安部 真行 氏
花王 執行役員情報システム部門統括 1980年青山学院大学理工学部卒業後、花王石鹸(現花王)入社。2003年情報システム部門情報技術グループ部長、2010年同戦略企画部長。2013年12月情報システム部門統括(現任)。2015年3月執行役員(現任)。
安部:苦労はあったみたいですけれども、スモールスタートから徐々に拡大していったと聞いています。仕事のやり方を変えるわけですから、現場に受け入れてもらえるような手順を踏んでいったり。多くの先輩の取り組みの結果、在庫の回転率を見ると、当初から30%以上改善できています。
日高:コストにしたら大変な改善ですよね。バランスシートを本当に変えるところまで業務改善をした企業はそうはいないでしょう。生産の途中の仕掛かりだけではなく、流通在庫も減らしたのですよね。
安部:流通在庫も減っています。ここが大きいですね。我々が販社を持ち、小売店に直接お届けしているので、モデルが多少作りやすかったかもしれません。
日高:見える化しやすかったわけですね。その後マーケティングについてもいろいろなシミュレーションモデルを展開されました。
安部:わりと最近の成果にはなりますけれども、POSデータを簡単に活用できるようになってきていて、何かアイデアがあればすぐ分析して、見えるようにできます。分析作業の生産性も上がるし、見栄えも非常にきれいなものができる。そうすると分析結果を受け入れてもらいやすくなります。
データの分析や結果の表現のためのいろいろなソフトウエアがオープンソースという仕組みで公開されています。ややこしいところを我々が作らなくて済むようになりました。コンピューターのパワーも桁違いに向上していますから、従来だったら1日がかりの処理が今は数分、いや、数秒でできますね。
日高:仮説検証のサイクルを何回でも回せますよね。
安部:はい。技術の変化によって我々がやりやすくなっているところがあると実感します。
新しいやり方を中堅が学び、新人に教える
日高:人材についてはどうですか。いわゆるデータサイエンティストと呼ばれる人材です。
安部:データとか、ITとか、そういうものに取り組む流儀が二つある、モード1とモード2だ。ガートナーさんはこう指摘されていますね。モード1はいままでやってきたことを拡張し、効率、安全性、精度を重視する。モード2は新しいことにスピードを重視して取り組む。
当社の場合、現状ではモード1の人材がほとんどでしょう。ざっと見て、モード2の人材は全体の5%くらいかと。しかし、向こう10年、15年を見たときには、モード2の人材がもっといないと。
いろいろな機会を通じて育てていこうとしています。例えば、オープンソースと呼ばれる公開されているソフトを利用し、何かのデータを解析するシステムを素早く開発してもらう。そういう研修を始めています。
まず、中堅のメンバーにいわゆるアジャイル開発のやり方を覚えてもらい、あるシステムを1回作ってもらう。次に、その中堅メンバーが先生になって、新入社員に教え、もう一度作ってもらう。最終的に本番の開発にも寄与していく、こういうやり方をここ数年やってきました。
日高:中堅の人に新しいやり方の指導を頼むのはいいアイデアですよね。
安部:勉強しないと人に教えられませんからね。
日高:教えることがまた勉強になりますものね。中堅社員の中から、新しいやり方に興味を持つ、あるいは適性がありそうな人を先生に選んでいくわけですか。
安部:選ばれると、それなりにモチベートする人が多くて、そうなると自分もやってみようと言い出す人もいて、いい循環になりました。ただ、おおむね一巡したので次はどういうやり方がいいか、考えているところです。同じことを繰り返すのは、ちょっと違うかなあと。
日高信彦 氏
ガートナー ジャパン 代表取締役社長 1976年東京外語大外国語部卒業後、日本アイ・ビー・エム入社。1996年アプリケーション・システム開発部長。2001年アジア・パシフィックCRM/BIソリューション統括。2003年4月から現職。
日高:新しい研修の中でモバイルテクノロジーについても試行されていますか。
安部:研修のテーマとしてはモバイルを扱っていません。モバイルについては普通のプロジェクトとして3年ほど取り組んできました。花王にはフィールドで業務をしている皆さんが6000名強いて、業務の種類は大きく言って3種類か4種類あります。それぞれについてモバイルアプリを用意してきました。
従来ですと見た目が違うアプリケーションですから、3つか4つ、それぞれきちっと作ってしまうところですが、モバイルの場合、セキュリティーにしろ、アプリケーションの配信にしろ、デザインの見てくれは違っても基本は同じですから、共通のソフト部品を用意しました。
日高:AIとかモバイルとかアジャイル開発とか、モード2が今後重要になりますが、一方で大半の作業はモード1だったりします。モード1の中にも改善していけばどんどん安価にできる世界がある。そのあたりの進め方はどうでしょうか。
安部:毎年いろいろな案件が出てくるわけですけれども、各業務にそれぞれ既存の情報システムがありますから、出てきた案件をリストにまとめています。今、グローバルでみると、リストには常に400件ぐらいありますね。
日高:結構多いですね。
安部:大小ありますし。もちろん国別、業務別に。それぞれのプロジェクトにそれぞれ人を割り当てます。例えば、この人はこのプロジェクトに何割関わる、というように。
日高:IT関係の人材の見える化ができるわけですね。モード1の。
安部:ええ。単純に割り当てていくと1人が3人分くらい働くことになりかねないので、日程を変えたり、人を増やしたり減らしたり、調整しています。そのあたりを見えるようにしたので、モード1モード2に限らず、今どのくらいのプロジェクトがあって、どのくらいの人がどう関わっているか、全体のボリュームと配分がつかめるようになっています。
日高:プロジェクトの優先順位をダイナミックに変更できますよね。
安部:いやあ、ダイナミックに変えるのは結構大変なのですけれども(笑)。ただ、働き方、労働時間の問題が出てきていますから、このあたりをきちんと整備しておいてよかったです。
日高:グローバルにはどうですか。国単位にとどまらず、いろいろな国の人たちが集まって、世界中で使うアプリケーションを作っていく、そういう体制をとれるマトリックスみたいものは。
安部:今、システム開発の拠点は日本とアメリカが中心です。日本のメンバーとアメリカのメンバーが一緒になってやっているプロジェクト、それからアジアのメンバーと一緒になってやっているプロジェクトもあります。将来はこの業務のことだったらあの国に頼もう、というように、センター・オブ・エクセレンスをはっきりできたらよいと考えています。
働き方改革はアナログな取り組みから
日高:労働時間の把握の話が出ました。ITを使った働き方改革の取り組みがあれば教えていただけますか。
安部:IT利用ということではまだまだですけれども、プリミティブな活動はしていて、結構効果を出しています。例えば朝、出社したら、ボードにある自分の名前の横に、その日の退社時刻を自分で書いてもらう。我々のシステム関連の部署から始めて全社に広がったものです。
日高:自己申告ですか。
安部:はい。今日は5時ぴったりに帰る、とボードに書いて、そのために一日の仕事の段取りを考えるわけです。これまでは惰性とまでは言いませんが、あまり考えずにやっていたところもあったわけで、今日は何時に帰ろうと思ってボードに書くだけでも、その後の取り組み方が違ってくるものです。
日高:いつ頃から始めたのですか。
安部:帰宅時刻を書くようになってから3年ぐらいになりますか。もともとは私たちのところで有志を募って、時間の有効活用について考えてみたのです。そのとき、帰宅時刻を書く案が出ました。
それから会議に使う部屋のテーブルには三角札が置いてあります。これまたプリミティブな話ですが、会議の目的ははっきりしていますかとか、予定通り進んでいますかとか、次のアクションは決めましたかとか、そういうことが三角札に書いてあります。
打ち合わせをしていると必ず、札が目に入りますから、だらだら続く会議を少しでも抑制できるのではないかと。これも我々の部署で始めて、今は全社に広がりました。自己申告も三角札もITとはまったく関係ないですが、そんなことを積み上げていくことが大事と思っています。
日高:リコーでCIOをされ、初代の政府CIOになった遠藤(紘一)さんも同じことを言っていました。小さくやってみて、うまくいったら全社に展開していくことだと。
安倍:アナログですけれどね(笑)。
日高:会議は短くなりましたか。
安部:そもそも会議の件数が適正なのか、という議論があちこちの部署で起きています。私たちのところでも連絡するだけの会議は止めました。
またしてもプリミティブな話ですが、会議の時間帯を60分ではなく55分とか、5分短く設定する試みがあります。会議のスケジュールというと、ぴったりに入れるじゃないですか。誰かが3時~4時の会議を設定する。すると別の人が予定を見て4時~5時に次の会議を入れる。4時ぎりぎりまで会議をすると、手洗いにも行けないし、メールも確認できない。
日高:学校の授業と一緒ですね。45分とか50分とかにする。
安部:そうそう。実際には手洗いに行ったり、メールを見て急ぎの電話をかけたりするので結局、4時の会議が5分遅れで始まったりする。5分の遅れがどんどんずれて、10分、20分遅れになることもある。定刻に来た人は待たされるし、急ぎの用事がこなせなくなる。これは生産性を相当下げますよね。
5分短縮も現場から出たアイデアなのですが、似たようなことが米国企業の幹部が書いた本のどこかに書いてありました。1時間の会議は長いといって30分に短縮したらトイレに行けなくなったので45分の会議にしたそうです。
細かい話ばかりになって恐縮ですが、部門を横断する会議ですと誰々さんはその日大丈夫だったけれど、うちの誰々さんがだめだった、全員揃う日をようやく見つけると今度は会議室が空いていない。しかもよく調べると会議の予定がなくなったのに会議室の予約をキャンセルしていなかった、なんてことをまだやっています。ここについては会議室予約の新しいツールを入れようとしています。ようやくITの話に戻れました。
会社の体制もシステムもオープンに
日高:新しい中期計画の中で社会貢献を強調されています。今後、高齢者人口が増えてくると、やはり健康が大事ですよね。健康の中には衛生とか、人間の尊厳とか、コミュニティーとどうつながって、どう人生を謳歌していくかとか、そういうことも入るでしょう。求められることが変わってきて、花王さんが持つ製品のラインアップがさらに広がってくるのではないですか。
安部:可能性はあります。もともと石鹸から始めていますから、社会にどう貢献していくのかという思いは脈々と受け継がれていると思います。「花王人権方針」を出したり、「World’s Most Ethical Companies(世界で最も倫理的な企業)」というグローバルな選定で連続11年、選んでいただいたり。
ステークホルダーとしては株主さんもいるので連続増配を続けています。といっても競合のP&Gさんは50数年、連続増配ですから。とにかく各ステークホルダーに還元できるように頑張っていこうというのが大きなポリシーですね。
日高:どういう分野で社会貢献をお考えですか。
安部:いろいろありますけれど、一つは我々の事業に大切な原料ですね。例えばRSPO(持続可能なパーム油のための円卓会議)による認証です。原料にパーム油を使うわけですけれど、強制労働をさせてないプランテーションでできたアブラヤシを原料にした油を使っていることを示す認証があります。そういう認証油の比率を高めていく。また、ボトル容器のほかに詰め替え用のパウチを用意しています。ボトルのまま捨てるのとパウチを捨てるのではゴミのかさが全然違いますので。
日高:なるほど。日本の経営は今、世界で見直されているところがあります。その一つは高い倫理観です。花王さんも創業者の言葉をずっと掲げていますね。
安部:「天佑は常に道を正して待つべし」(創業者長瀬富郎の遺言)ですね。身の回りをきちんとしておけば、いいことがきっと来る。花王ウェイをつくったときに、その「正道を歩む」を入れています。正道を歩むことで、大きくつまずくことがないようにする。ここが基本です。
日高:なぜ社会貢献の話を持ち出したかというと、デジタル技術とそれを使う環境がどんどん進化していくことと関係があるからです。いろいろな企業がお互いにパートナーシップを組んで、単体でするよりもより大きな価値を世の中に対して提供できるし、社会的貢献もできる。そうなると会社としてますます正道を歩まないといけないし、会社の体制も、情報システムも、オープンで外とつながりやすくしなければならなくなる。こう見ています。
安部:今、経済産業省が音頭をとってオリンピックに向けて商品情報を多言語にして出すプロジェクトが始まっています。一企業でやっていても意味がないわけで、みんなで揃えていこうということです。実際に消費者の方に多言語で提示しようとすると、我々の社内にあるデータをもう1回見直して整備しないといけない。外と組むことは社内の見直しにもなります。
ビジネスをイネーブルできるITを用意する
日高:企業の経営者にお目にかかってお話を伺っていると、先が見える方など誰もいなくて、仮説検証でやっていくしかない、という結論になります。今から2~3年先までのところを取りあえず見える化して、出てきたアイデアをアジャイルで試してみる。アイデア10個のうち、3つくらい期待できそうだとなったら、ビジネスにしていって、また検証する。それを常に繰り返していく。そんな経営になっていきますね。
日本企業にとって難しいのは、10個取り組んで7つ失敗してもいいという姿勢をとること。リーダーがそういうふうに言ってくれないとなかなか現場は変わらないでしょう。日本企業の多くは失敗経験をマイナスと見なしますから。失敗を許容できないと仮説すら立てられません。
安部:澤田(社長)は花王の殻を破ろう、と強調しています。ただし品質管理や消費者対応、コンプライアンス遵守はこれまで通りしっかりやろうと。難しいことだが両立させようとしています。
日高:最後に伺いたいのですが、安部さんにとってCIOのミッションとは何ですか。
安部:ITの責任者はITだけ守るのではなくて、ビジネスに携わっている皆さんと関係を深くして、一緒に新しいビジネスを作ったり、業務を最適化したりする。そのためのIT、ビジネスをイネーブルできるITを用意する。それがミッションだと思っています。
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