平林:もともとかどうか分からないですけれど、40歳を過ぎたら海外の人と友達になりたいなみたいに思っていたことはあります。実際には30代のときは子育てが大変でそこまでの余裕は全くなかったのですけれど、少し余裕ができたら海外の友達が欲しいなあと。
英語という点で一番大きかったのは、ウォルマートの本社から西友まで人が来てやったフィージビリティースタディーの経験ですね(中編『西友とウォルマートが“融和”できた理由』参照)。ものすごい数の英語の文書があって、それを翻訳の方が訳してくれたのですけれど、我々が日本語で読んでも意味が通じないのですよ。そこで私が原文を読んで「これってこういうことを言っていますよ」と日本人の同僚に伝えることをやりました。あれで受験英語がビジネス英語に強化されたのかもしれません。
コンピュータは苦手だった
日高:英文科だったのですが。
平林:いえ、心理学科でした。心理学科は半分理系なのですね。コンピューターのプログラミングが必修科目にありました。
日高:学生時代からITの人だったわけだ。
平林:ところがまったく苦手で。大型汎用機があって、プログラムを作ってそれをパンチカードに打ってから汎用機にかける、という授業がありましたが、単位がとれません。1年生の時に単位を取らなければいけなかったものを4年生まで持ち越し、担当の教官にリポートを送って「これで許してください、この単位がないと卒業できません」とお願いしたほどです。
日高:西友を選んだ理由はあるのですか。
平林:大学は池袋にある立教でした。当時、西友の本社はサンシャインビルの中にありました。駅の向こう側にあるサンシャインの中の会社か、そこに行ってみようかな、というのが受けたきっかけでした。もっとも少しは考えたことがあって、当時のセゾングループは女性の活用に早くから目を向けていましたから、「いいかもしれない」と思ったのです。
入社したのは1983年、西友は創立20周年でした。男女雇用機会均等法の前ですから、女性といったら、何と言うのかな、結婚前の事務職という位置付けの会社が多かったと思うのですが、そういうのは自分としてはちょっと……
日高:もう少し仕事を進めておきたいと思っても女性だと残業ができなかったですしね。初めからプロ意識が強かったわけだ。
平林:いやいや、そうじゃないですよ、お茶くみをしたくなかっただけです(笑)。そんなことを言ったら落とされるだろうと面接はきちんとやりましたけれども。
日高:入社してみたらITの担当になったと。
平林:それがコンピューターはコンピューターだったのですがちょっと違ったのです。西友に入ってから配属にかかわる面接があり、「どこの売り場がいいですか」と聞かれたとき、「家庭用品がいいです」と答えました。家庭用品、衣料品、食品から選ぶので。そのとき「私はプログラミングをしたこともあります」と言ってしまったのですよ。
日高:志願してしまったわけだ(笑)。
平林:そうしたら配属の担当の人が妙にうなずいて、発表があったら行き先はパソコン売場でした。西友大泉店という大きな店があり、ちょうどそこに西友として初めてのパソコン売場をつくろうとしていたのですね。パーソナルコンピュータ、NECのPC-6001とか8001が出始めた頃でした。そこに新人なのに配属されてしまい、うかつな一言で私はどうなるのかしらと思ったりしました。
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