2つの世界・可能性は、人そのものである

片渕:すずさんて、絵を描く才能を持っているんですが、それをあえて自覚しないで、普通の生活人として生きていく道を選択したんだと思っています。

今ならば、美大か芸大に進学するか、それとも漫画家志望でコミケにでるかとか、そういう人ですよね。

片渕:そうなんだけれど、そういうことを全部最初から諦めて、というか、なかったことにして生きているんじゃないか、と思うんですよ。この映画の中で、すずさんは大きな悲しみに見舞われます。そこから立ち直って、絵を描くすずさんをエンディングに入れることも考えたのですが、結局映画の最後に「描いているすずさん」は入れませんでした。

 すずさんを完結させたくなかったんです。また絵を描くのかも知れないし、違う生き方を選ぶのかも知れない。それはまだ、今は見えない、というふうにしたかったんです。

片渕監督の前作「マイマイ新子と千年の魔法」 ©髙樹のぶ子・マガジンハウス/「マイマイ新子」製作委員会

片渕さんの映画は、常に2つの世界、2つの可能性を重ねて描写していっているように思います。「アリーテ姫」は、魔法が存在する中世風の世界が舞台でしたが、実はその魔法とはかつての崩壊した文明の残した科学技術でした。「マイマイ新子と千年の魔法」では主人公の新子や友人の貴伊子の暮らす昭和30年の山口県防府市と、千年前の大内氏がたたら製鉄を営んでいた周防国が同時並行で描写されます。

 「この世界の片隅に」では、2つの世界・可能性がさらに多様に重なっているとみました。日常と非日常、呉と広島、すずさんの描く絵の世界と現実などなど、作品の中により複雑に様々な2つの世界が入り込んでいるようです。このあたりはご自分ではどのように考えていますか。

庵野監督の感想は…

片渕:そうですね。それは自分にとっては、個人の視点には限界があるけれども、個人の精神はその限界に縛られていないということを意味しています。人間は物理的に存在しているだけではなくて、精神世界を持っているということなんですよ。肉眼では見えない心の中の世界があるからこそ、僕らは他人を見た目だけで判断してはいけないし、お互い尊重し合わなくてはいけないんです。

 すずさんは、本当に見かけだけならつまらない人なのかも知れません。ぼおっとしているし、なにもしゃべらなかったりして。でも心の中には色々豊かな絵画的なイメージが存在しているし、“鬼いちゃん”のような物語だって存在している。

 昨日、庵野秀明君に会って「観た?」って聞いたら「観た。なんだあの女、ぼおっとして。首締めたくなった」って(笑)。でもそんな女性の裡に色々なイマジネーションが存在しているからこそ、愛おしくなるんじゃないかな、と僕は考えているんです。

[2016年11月30日、東京・南阿佐ヶ谷 MAPPA第2スタジオにて]

©こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

(おわり)