片渕:例えばこの写真。昭和18年に山本五十六連合艦隊司令長官が戦死して、銀座のデパートに遺影が展示してあるのを、女の子達がのぞき込んでいるところです。ほら、スカートをはいているでしょ。

しかも、けっこう短いですね。膝丈というか膝上というか。

片渕:こちらも昭和18年ですがスカートですね(と、郵便配達を女性がするようになったという雑誌のグラビア記事を見せる。女性がスカートで自転車に乗っている)。

これ、キュロットスカートですか。

片渕:いや、スカートです。こうなると、むしろ「自転車に乗るんだからズボンはけよ」と言いたくなる。僕らは、今まで図式化された「戦時中」を見せられていたんだろうなあ、という気がしてくるわけです。バケツリレーで訓練というような時はモンペ姿をしていたけれども、日常生活はそうじゃないんです。

記憶は上書きされる。だから一次資料が重要

これまで、戦争体験者が社会の中核を構成していた頃は、「そこはみんなも分かるだろう」的な共通理解として、きちんと映像作品の中で表現されていなかったということなんでしょうか。

片渕:そうではなくて記憶って、後から上書きされちゃうものなんでしょうね。一番そのことがはっきり分かるのは、機銃掃射を体験した方の体験談に、必ずといっていいほど「自分を撃った飛行機の搭乗員の顔が見えた」あるいは「目が合った」ということが出てくるんです。でも、必ず目が合ったり顔が見えたりするわけじゃない。そうそう目が合うはずもないのに、なぜ「目が合った」ということになるのだろうか、と思うわけです。僕が直接お聞きした例では、「B-29に乗っている人の顔が見えた」という証言もありました。

B-29は低高度爆撃をしていませんから、いくらなんでも見えるはずがない。

片渕:それはつまり、当時実際に観たこととは違う印象で、記憶が上書きされているということです。だから伝聞とか回想とかを取り除いて、一次資料だけで、庶民の生活を捉え直していこうと考え、実行していったんです。

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記事掲載当初、前文中で「すずという18歳の絵を描くのが好きな女性が、昭和18年に広島から呉に嫁ぎ、昭和21年までの生活を描いていく」としていましたが、「正確には、周作がすずに結婚を申し込むのが18年12月、結婚式が19年2月なので、18年に嫁ぎ、はおかしい」との指摘がありました。原作まで確認しましたが、原作段階でその通りにきっちり設定されていました。正しくは「すずという18歳の絵を描くのが好きな女性が広島から呉に嫁ぎ、戦時下を生きる。その昭和18年から昭和21年までの生活を描いていく」です。お詫びして訂正します。本文は修正済みです(松浦晋也・編集部) [2016/12/09 10:00]