レガシー作りと“安倍家の家訓”が背中を押した

安倍首相はなぜこの決断をしたのでしょう。

名越:安倍首相の私的な思いも強くあるように思います。一つは、首相として後世に残る実績、レガシーを作りたいのです。これは歴代の首相のいずれにも共通するものですね。安倍首相は日ロ平和条約の締結を公約として掲げてきました。

 しかし、国後・択捉の返還を求めるこれまでの姿勢で成果を上げることはできません。プーチン大統領は、平和条約の交渉は56年宣言をベースにするとずっと発言してきました。そこで、平和条約の交渉を動かすため、今回の決断をしたのだと思います。

 もう一つは“安倍家の家訓”です。安倍首相の父である晋太郎氏は長く外務大臣を務め、日ソ平和条約の締結に力を注いでいました。安倍首相は秘書としてその姿を近くで見ていた。

 晋太郎氏は56年宣言に基づく交渉開始を是としていました。私が調べたところ、これに関する最初の発言は1986年のことです。同氏は国会答弁で「56年宣言を元に交渉を行う」と述べました。当時の新聞は「2島返還に方針転換か」と疑問を呈しています。官房長官がこれを否定するコメントを発しています。

 晋太郎氏は90年にも自民党の代表団を率いて訪ソし、「56年宣言を元に交渉を開始しよう」とミハイル・ゴルバチョフ氏に提案しています。私は当時、時事通信のモスクワ特派員として現地に駐在していたので、関係者から聞いて覚えています。

 晋太郎氏はその年の夏にも訪ソしようとしましたが、病気のためかないませんでした。この時、ゴルバチョフ氏が晋太郎氏に「56年宣言を元に交渉し、平和条約を5年以内に締結しよう」とのメッセージを送りました。晋太郎氏はこれを安倍派の会合で披露し、「平和条約締結への道が開かれた」と発言しています。

 こうした経緯から、「56年宣言に基づく交渉開始」に転換することのハードルが安倍首相の中では低いのでしょう。いわば、父・晋太郎氏が残した家訓に則る行為なわけですから。

 実は、安倍首相の祖父である岸信介氏も、日ソ平和条約の交渉に大きな影響を与えました。60年の日米安保条約改定にソ連が反発。歯舞・色丹の引き渡し条件に「在日米軍の撤退」を新たに加えたのです。「領土問題は解決済み」と主張し、領土交渉自体を拒否する方針に転換しました。

安倍首相はなぜこのタイミングで方針転換を決断したのでしょう。

名越:やはり、焦りがあったのではないでしょうか。9月のプーチン発言――無条件で年末までに平和条約締結――が影響したと思います。プーチン発言の意味するところは「今のまま続けていても仕方ないだろう」ということだった。これが安倍首相にとってプレッシャーとなった。プーチン大統領が外交的に勝利したのだと思います。2年前に同大統領が訪日した時に決まった4島での共同経済活動も協議が難航しており、それも焦りにつながった。

 安倍首相の任期が残り3年を切ったことも背景にあるでしょう。安倍首相が「戦後外交の総決算」として掲げる2枚看板のうち、北朝鮮拉致問題の解決は進展していません。残る日ロ平和条約を成果にするためには、ここで決断しないと時間がありません。来年6月にプーチン大統領が来日するときに仮調印というクライマックスを持ってきたい計算もあるでしょう。