過激派組織「イスラム国(IS)」が“首都”としていたシリアのラッカがついに陥落した 。トランプ米政権が北朝鮮の核・ミサイル問題と並ぶ安全保障上の優先課題 としてきた案件が大きく前進した。
ただし、前途は多難だ。シリアの内戦は膠着状態が続きそうだ。中東全体に目を転じれば、クルド人と周辺国との軋轢が次なる発火点として浮上する。サイクス・ピコ協定とローザンヌ条約が定める「国境」が生み出した混乱は、ISが事実上崩壊しても変わらない。中東の事情に詳しい、日本エネルギー経済研究所の保坂修司・中東研究センター副センター長に話を聞いた。
(聞き手 森 永輔)
ラッカを陥落させたシリア民主軍(写真:ロイター/アフロ)
2011年 にアラブの春が起き、シリアでは、アサド政権と反政府武装勢力による内戦に発展。その混乱の中で過激派組織「イスラム国(IS)」が勢力を拡大しました。そのISが事実上崩壊。これによって中東情勢はISが台頭する前の状態に戻るのでしょうか。
保坂:戻ることはないと思います。ISの台頭によって、サイクス・ピコ協定やローザンヌ条約などが規定する中東の既存秩序が制度疲労を起こしていることが明らかになりました。今後はクルド人勢力を含めたかたちでサイクス・ピコ体制に対する挑戦が続いていくでしょう。
サイクス・ピコ協定は、英仏ロシアが、第一次世界大戦を通じて崩壊したオスマン帝国の領土を分割すべく、地図上に線を引いて国境を定めたものですね 。民族や宗派の分布を無視したこの国境線が、中東における現在の混乱を招いています 。ローザンヌ条約は、トルコと連合国が1922年に締結した第一次世界大戦をめぐる講和条約ですね。
保坂 修司(ほさか・しゅうじ)
日本エネルギー経済研究所 中東研究センター副センター長。専門はペルシャ湾岸地域の近現代史、中東メディア論。1984年、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。クウェートやサウジアラビアの日本大使館で専門調査員を歴任。2006年、日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究理事。
保坂:ISは、このサイクス・ピコ体制の破壊 を目指して台頭しました。それゆえ地域を支配し、“国家”を名乗ったわけです。
かつて、アラブ民族主義を掲げる勢力がサイクス・ピコ体制に挑戦し、アラブを統一しようと試みました。エジプトのナセル大統領(当時)が主導し、エジプトとシリアを1958年に合併したのは その表れです。この動きは時期尚早で結局、瓦解してしましました。
ところがこの“アラブの夢”をISは実現してしまったのです。中東に“国家”を打ち立て、擬似的にではありますが、イラクとシリアの間にある国境をなくしてしまった。ISは国家ではなくテロ組織ですし、手段も話し合いではなく武力を行使して実現したものではありますが。
ISが事実上崩壊しても、サイクス・ピコ体制に挑戦する流れは変わらないでしょう。今後はISに代わってクルド人勢力が主役となり、この流れに乗って活動を続けていくのだと思います。
イラクのクルド自治政府が9月25日、独立をめぐる住民投票を実施しました 。周辺国はもちろん、これまでクルド人に対して同情的だった米国や欧州の反対さえ押し切って強行した。これもサイクス・ピコ体制に挑戦する動きです。新たな国家を樹立し、現在の国境線を変えようというわけですから。
3000万とも言われるクルド人が国を持たず、複数の国に分かれて暮らすのは不自然です。擬似的な国家になるのか、連邦制において一角を占めるのか、その形態は分かりませんが、クルド人による国家をいずれは認めざるを得なくなるでしょう。ただ、それが「今」なのかどうかは分かりません。イラクでの住民投票の今後の展開を含めて、当面はクルド人が“主役”となり、サイクス・ピコ体制に挑戦する動きが中東における波乱のタネであり続けると思います。
ラッカの統治をめぐる争い
第一次世界大戦を受けてオスマン帝国が崩壊。クルド人が住んでいた地域は、現在のトルコ、シリア、イラクになりました。クルド人はイランにも住んでいますね。こうした情況の中で、具体的にはどのような摩擦が起こり得るでしょうか。
保坂:大きく二つのことが想定されます。一つは、「ラッカを解放した」と表明 したシリア民主軍とその上部組織であるクルド民主統一党(PYD)の動向です。シリアに住むクルド人を中心とするこの部隊は、ISを掃討するための地上戦を担い、米国の覚えがめでたい。論功行賞として、制圧したラッカの統治権を主張する可能性があります。
これはトルコ政府にとって面白い事態ではありません。トルコ政府は、トルコに住むクルド人の中核となっている「クルド労働者党(PKK)」 を合法組織として認めず、テロ集団と見なして非常に強く警戒しています。そしてトルコはこのPKKとPYDを同一視しています。したがって、PYDがラッカという拠点を手にすることになれば、トルコ政府は脅威と感じるでしょう。トルコ政府からみれば、PYDはPKKと同じく危険な存在です。
もう一つ想定されるのは、イラクにおいて、クルド自治政府が独立に向けた具体的な動きを強めることです。
クルド自治政府は10月17日、キルクークの油田をイラク政府に奪われました 。このため、同自治政府の指導者バルザニの責任を問う声も高まっており、クルド内部の対立も予想されます。しかし、いずれにせよクルド独立への気運が高まることはトルコ政府にとって好ましくない事態です。クルド人国家の樹立を掲げる PKKを刺激することは必定ですから。クルド自治政府で主流をなすクルド民主党(KDP) はこれまでトルコ政府と良好な関係にありました。しかし、住民投票を強行したことで関係が悪化しています。
どちらの事態も、トルコ政府は実力を持って圧力をかけ、阻止することが考えられます。
アサド政権は存続し三つ巴に
シリアの内戦はどのような展開になるでしょう。
保坂:アサド政権と反政府武装組織、そして、それらと一線を画すPYDの三つ巴、あるいはISやシャーム解放委員会(旧ヌスラ戦線)などテロ組織を含めると四つ巴の状態が続くと思います。アサド政権は首都ダマスカスと地中海沿岸を抑えている。PYDなどクルド勢力は北部を事実上掌握。反政府武装組織はその他の地域――と棲み分ける。
アサド政権が存続する可能性はひと頃に比べて高まっていると思います。IS掃討戦を通じて、ロシアが軍事支援するようになりましたから。米国にとっても、アサド政権打倒は優先順位が高くありません。その旗をまだ降ろしてはいませんが。
サウジアラビアも、ロシアが主導するシリア和平のロードマップを承認しており、「アサド政権が存続しても仕方ない」と考えているでしょう。サウジのサルマン国王が10月10日ロシアを訪問し、プーチン大統領と会談しました 。当然、シリアの今後について話し合ったと思います。
シリア民主軍の後ろには米国がついていますね。
保坂:反政府武装組織にも、支援する国がそれぞれの組織にいます。例えばムスリム同胞団はカタールが支援しているとされています 。また、サウジアラビアは世俗的な勢力から宗教的な組織まで幅広く支援しています。
イラクは宗派対立が続く
ラッカが陥落したので注意がシリアに向かいがちですが、ISの事実上の崩壊はイラクにとっても大きな進展です。
保坂:はい。でも、イラクの情況は大きくは変わらないと思います。この1年の間に、ISはだいぶ弱体化してきましたから。ただしISは広い地域を統治する力は失っても、西部のシリアとの国境にまだ勢力を残しています。テロを実行する力もまだまだあります。
アバディ政権は安定しているのでしょうか。
保坂:キルクークの油田をクルド自治政府から10月17日に奪還し 、国内の評価は高まっています 。しかし、シーア派とスンニ派の対立を解消するのは難しいでしょう。
イラクにISが浸透したのは、シーア派主体のマリキ前政権がスンニ派勢力を冷遇したことが大きかったですね。
保坂:はい。当時に比べて、対立は緩和する方向に向かっていると思います。スンニ派はISのような勢力に与するのが得策ではないことに気付きました(編集部注:ISはスンニ派の組織。その支配地域は、スンニ派住民が主体の地域から拡大した)。シーア派を主体とする政権側もスンニ派との融和が必要なことを学習したと思います。そのためアバディ政権が誕生しました。
しかし、アバディ政権もしょせんシーア派政権です。シーア派を優遇する構図は代わらない。特に、人民動員部隊の処遇問題を解決できるかどうかは分かりません。
人民動員部隊ですか。
保坂:シーア派の民兵組織です。イラクのシーア派系組織やイランが支援しているといわれています。IS掃討戦で大きな力になりました。スンニ派勢力はこの人民動員部隊が発言力を増し、スンニ派住民が暮らす地域に干渉することを恐れています。イラク政府がこの部隊をコントロール下に置くことができれば問題ありません。しかし現在は政党や有力者に属す存在になっており、政府の統制が効かない状態です。
ISはすぐになくなるわけではない
ISは今後、どのようになるでしょう。
保坂:ラッカ陥落は、大きな一歩だと思います。重要拠点を失えば、今後、人が集まらなくなりなり、じり貧になる。シリアとイラクで活動する外国人は減っていくでしょう。まだ小さな拠点がいくつか残っていますが、これらが再び拡大するのも容易ではない。資金、それを得るための油田を確保するのは困難です。
しかし、活動の拠点を海外に移すことは考えられます。
どんな国が候補ですか。
保坂:アジアではフィリピンにIS東アジアがあります。1年前までは「ISフィリピン」と名乗っていましたが、勢力を拡大し、今は「IS東アジア」と称するようになりました。メンバーとしてフィリピン人はもちろん、マレーシア人、シンガポール人、インドネシア人などが参加しています。
ただIS東アジアの幹部2人が殺害されたとの報道が10月16日にありました 。これが事実なら、IS東アジアにとって大きな打撃でしょう。
ISはアフリカではリビアに大きな拠点を有しています。彼らは、しばらく大人しくしていましたが、勢いを取り戻しつつあります。ここに来て、外国人が集まり始めている 。「油田を狙え」などの宣伝にも力を入れています。
このほかでは、アフガニスタンとシナイ半島でしょうか。シリアやイラクと同様、中央政府が弱体化している地域が、過激派組織にとって居心地の良い場所となります。この意味では、イエメンやソマリアも候補になるでしょう。
フィリピンやリビアのISは、シリアのISの支店のようなものですか。
保坂:いえ、元々は独立したテロ組織でした。ISが台頭するのを受けて、ISに忠誠を誓うようになりました。
今後も「IS」を名乗り続けるでしょうか。
保坂:この先は、人数が集まるかどうかにかかっていると思います。「IS」のブランド力が高く、人を集める力を認めることができれば、この看板をかけ続けるでしょう。しかし、そうでなければ、元の国内組織に戻るかもしれません。“その他大勢”いるテロ組織の一つになる。
一方、シリアとイラクを後にした外国人は母国に帰ってテロを起こすことが懸念されます。1990年代に「アフガン帰り」がテロの主流になったように、「シリア帰り」「イラク帰り」と呼ばれる人が増える。
「シリア帰り」「イラク帰り」が多くなるのはどこの国でしょう。
保坂:欧州ではフランス、ロシア、英国。中東ではチュニジア、サウジアラビア、ヨルダン、トルコが挙げられます。いずれも数千人の人がシリアとイラクに渡った。
各国政府は「シリア帰り」「イラク帰り」の捕捉に力を入れるでしょうが、漏れは生じるでしょう。
彼らを捉える法的な根拠はあるのですか。それぞれの国で罪を犯したわけではないですよね。
保坂:多くの国が反テロ法の整備を続々と進めています。例えばサウジアラビアは、シリアで組織に所属し戦闘に参加することを犯罪とする法律を制定しています。
あと重要になるのはインターネットの規制ですね。ISはネット上で宣伝することで多くの人を集めました。したがって今後、「シリア帰り」「イラク帰り」を刺激する言説をどうやって規制するかが重要になってきます。
実は先日、私のtwitterのアカウントが凍結され、つぶやけなくなってしまいました。
え、保坂さんがテロリスト扱い? 網の目がそれほど細かいなら、インターネットへの規制も有効かもしれないですね。
保坂:私は、警告を発するためにつぶやいていただけなのですけどね。
ただ、テロをそそのかすツイートと警告を与えるツイートは同じデータを使っていることがあるので表面上似てしまいます。AI(人工知能)を使いうにしろ人海戦術でやるにしろ、区別するのは難しいでしょう。研究者にとっては悩ましい問題です。
最後にイランについてお伺いします。トランプ米政権が、核合意の破棄を臭わすなど、イランに対する強硬姿勢を強めています。ISが事実上崩壊したことで、米国にとってはイランと協力する理由が一つ減ることになります。米・イラン関係の今後はどのようになるでしょう。
保坂:トランプ政権ではいまだに中東外交の責任者がはっきりしません。したがって、ホワイトハウスと国務省や国防総省などの間で政策上のブレが見られます。とはいえ、トランプ政権が反イラン的態度をとっている限り、サウジアラビアなど湾岸諸国としてはハッピーではないかと思います。
ただし、イランとの核合意(JCPOA)はアラブ諸国も認めていますので、仮に核合意が破棄されて、イランが再び核開発を進めることになれば、それは対岸のアラブ諸国にとってプラスにはならないと思います。
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