5期連続で営業最高益と業績好調のセコム。東京五輪など商機も広がる。順風満帆なはずの同社に昨年5月、突然の社長交代劇が起こった。あれから1年3カ月、新生セコムについて語る。
(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)
日経ビジネス2017年8月7日・14日号 78~81ページより転載

警備のプラットフォームに多様な機器をコネクトする。
東京五輪は警備1万4000人必要。旗振り役務める。
問:日本銀行から2007年、セコムに転じました。「なぜ、日銀から」と疑問に思う人もいると思いますが、どのような経緯があったのでしょうか。
答:人的なつながりです。私が一の子分と自認していますが、肌身を接して仕えた三重野康総裁(当時)とうちの創業者の飯田亮最高顧問は刎頸(ふんけい)の友、非常に親しい関係です。
私は03~05年、日銀の名古屋支店長でした。その際、トヨタ自動車をはじめ財界の方と数多く意見交換をしました。金融システムはインフラであり、日本経済の活力を高めている主役は民間企業だと改めて思い『機会があれば民間企業でしかるべき役割を担いたい』と三重野さんに話をしました。私の力量を飯田にも認めてもらい『じゃあ、うちで働くか』と話が進みました。
問:当時、いずれは社長になるというお話、お考えがあったのですか。
答:全くありません。経営陣の一角としてある程度の責任を担いたいと思っていましたが、社長とまでは本当に考えていませんでした。
問:昨年5月11日の社長就任について伺います。当時の前田修司会長と伊藤博社長は会長職、社長職を退き、取締役も辞任しました。同日の取締役会で決議された、突然の交代劇でした。何が理由だったのですか。
答:社外取締役などいろいろな人の考え方があり、基本的には指名報酬委員会と取締役会で議論した結果です。その理由は一言、『将来のセコムの企業価値を向上させていくためには、ここで人心を一新した方がいい』。そこに尽きます。お二方の功績はもちろん大きい。それは認識した上で、将来を見たときに一新が必要だったということです。
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