今や百貨店の花形は、婦人服ではなく化粧品だ。日本百貨店協会によると、2017年の全国の百貨店の化粧品売上高は5122億円。対前年比は17.1%増、5年で約1.5倍という突出した数字となっている。快進撃の最大の理由は、2014年来の爆発的なインバウンド(訪日外国人)需要。

 加えて、服にはお金を使わない日本人女性たちが、化粧品にはお金を使うという傾向が顕著。総務省の家計調査によれば、2017年、化粧品に支払う額が初めて婦人服を上回った( 2 人以上世帯の支出額)。婦人服の年間支出が2000年から 17 年間で約 6 割まで減ったのに対して、化粧品支出はほぼ横ばい。スキンケア化粧品に限れば、むしろ増えている。

 両者の明暗を分けた一因が、日本の化粧品メーカーが、価格競争と一線を画す、機能性の高い商品の開発に力を注いできたことにある。1997年に化粧品の再販制度が全面的に撤廃される逆風の中、高齢化が進むことを見据えて、「高くても買いたくなる」エイジングケア化粧品を次々と作り出した。それが今の活況につながっている。

 その象徴的な商品のひとつが、「シワを改善する薬用化粧品(=医薬部外品)」だ。2017年1月にポーラが日本初のシワを改善する薬用化粧品「リンクルショット メディカル セラム」を発売。それまで日本にはなかった、「シワに効く」機能を明言する化粧品が女性たちの心を捉え、発売1カ月で約36億円、25万本を売り上げた。続いて同年6月に資生堂も同社初のシワ改善の薬用化粧品を発売し、2017年1年間でポーラ、資生堂の2社合計で推定約230億円という「シワ改善市場」を創出した。今年9月にはコーセーが同社初のシワ改善薬用化粧品を発売。シワ改善は、今後もアンチエイジング化粧品の重要なキーワードになることは間違いない。

 15年という開発期間をかけて厚生労働省の承認第一号となった、ポーラ・オルビスホールディングス代表取締役社長鈴木郷史さんに、改めて開発の舞台裏と今後の戦略を聞いた。

<span class="fontBold">Satoshi Suzuki</span><br> 1954年3月18日生まれ。ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)創業 者である故・鈴木忍氏の孫。早稲田大学理工学部大学院を卒業 後、本田技術研究所に入社し、 車のエンジニアとなる。86年、32歳のときにポーラ化粧品本舗 に入社。総合調整室長、新規事 業開発室長などを経て、96~99 年にポーラ化成工業代表取締役 社長。創業70周年となる2000年に、45歳でポーラ化粧品本舗 社長に就任。06年9月ポーラ・ オルビスホールディングス代表取締役社長(現任)。10年に上場し、以来17年12月期まで8期連続で増収増益を達成。(撮影/洞澤佐智子)
Satoshi Suzuki
1954年3月18日生まれ。ポーラ化粧品本舗(現ポーラ)創業 者である故・鈴木忍氏の孫。早稲田大学理工学部大学院を卒業 後、本田技術研究所に入社し、 車のエンジニアとなる。86年、32歳のときにポーラ化粧品本舗 に入社。総合調整室長、新規事 業開発室長などを経て、96~99 年にポーラ化成工業代表取締役 社長。創業70周年となる2000年に、45歳でポーラ化粧品本舗 社長に就任。06年9月ポーラ・ オルビスホールディングス代表取締役社長(現任)。10年に上場し、以来17年12月期まで8期連続で増収増益を達成。(撮影/洞澤佐智子)

「ポーラ リンクルショット メディカル セラム」の開発がスタートしたのは今から16年前の2002年。働く女性が増え、女性の在宅時間が短くなったことで、訪問販売専門の化粧品会社だったポーラ化粧品本舗(当時)の売り上げも減少が続き、業績改善待ったなしの時期でした。
 鈴木さんは、社長となって3年目。改革の柱として「新創業宣言」を行い、そのひとつのプロジェクトとして「日本初のシワ改善薬用化粧品を目指す」開発が始まった。しかし薬用化粧品の開発には平均で10年、10億円がかかるうえ、果たして製品化できるかは未知数。トップとしてどのように感じていましたか。

 
ポーラ リンクルショット メディカル セラム。独自成分の「ニールワン」を配合。ポーラ化成が行った抗シワ評価試験では、12週間の使用で7割の人が目尻のシワが改善したことを実感している。20g、1万3500円(税別)。
ポーラ リンクルショット メディカル セラム。独自成分の「ニールワン」を配合。ポーラ化成が行った抗シワ評価試験では、12週間の使用で7割の人が目尻のシワが改善したことを実感している。20g、1万3500円(税別)。

鈴木 郷史社長(以下、鈴木:敬称略):すごくいいと思いましたね。革新的な商品には、会社そのものの在り方をダイナミックに変える力があるということを、僕はそれまでに何度か体験していたからです。

 そもそもの始まりは、この年に「皮膚薬剤研究所」をポーラ化成工業に設立したこと。医薬品研究と化粧品研究の 2 つの事業を融合させた研究体制をつくりたいという、僕自身の以前からの構想を実現したものでした。肌のいろいろな悩み、トラブルに対応していくために、医薬品と化粧品との壁をとっぱらって素材開発をできれば面白いと考えたからです。

 ただ、僕がつくったのは「新創業宣言」という大きな方針と、皮膚薬剤研究所という器だけです。

 それに対してリンクルショットの開発リーダーである末延則子(当時、皮膚薬剤研究所メンバー。現在、ポーラ・オルビスホールディングス執行役員)が、「何かしなくちゃいけない、新しい価値の創造につながる開発は何か」と考えて、シワを改善する医薬部外品というテーマを見つけた。その気づきがもう、すべてだと思う。経営トップができるのはソフトウエア、ハードウエアを整えること。その先は、そこにいる人間がどう感じ、動くか次第です。

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