私がエンジェル投資家の仕事を始めた理由
KEIRETSU JAPAN最高顧問の本澤実氏に聞く
混迷を極める世界。未来は、視界良好とは言えない状況にある。その中で、企業が成長していくためには、溢れかえる情報の中から、確度の高いものを探し出し、そこに経営資源を集中させていく必要がある。今後生き残るためには、高度な情報収集能力、判断力、決断力などを兼ね備えることが求められるわけだ。
KEIRETSU JAPAN(ケイレツ・ジャパン)は、2000年に創設されたエンジェル投資家グループ「KEIRETSU FORUM」の日本支部だ。本澤実氏は日本支部の最高顧問を務める。ミッションは、国内のベンチャー起業家や経営者と、世界のエンジェル投資家をつなぐこと。そのためには、将来、どのような社会状況が訪れ、その際にどのようなテクノロジーが求められ、その結果どのような市場が醸成されるのかを高い精度で見通すことが求められる。
そうした仕事に取り組む本澤氏に今回、エンジェルに関わる仕事を始めた理由、現在注目しているテクノロジー、今後の社会や市場の行方などについて聞いた。
英国でのビッグバン遭遇が転機に
本澤 実(ほんざわ・みのる)氏
KEIRETSU JAPAN 最高顧問/埼玉学園大学大学院客員教授。東京大学農学部卒、英国ケンブリッジ大学院、埼玉大学大学院修了、博士(経済学)。国内外の金融機関で国際金融取引に従事。その後日本政策投資銀行とともに投資会社を設立し、多くの企業再生・バイアウトに関与。現在は、スタートアップ支援などを通じて、先端技術の発掘・振興、事業化を通じた価値創造とグローバル展開の推進、これらを支える人材の育成や活用、並びに資金調達に尽力している。とくに最近は、人間の根本テーマに関連する先端技術の発掘に注力しており、関連技術を有する多くの中小企業を支援している。
本澤さんが最高顧問を務めるKEIRETSU JAPANと、現在取り組んでいる業務について教えてください。
本澤:「KEIRETSU FORUM」は、1990年代に不動産投資業で成功を収めたCEO(最高経営責任者)のランディ・ウィリアムが2000年に立ち上げたエンジェル投資家のネットワークです。名称は日本語の「系列」に由来します。
投資家と起業家を結ぶコミュニティーとして、世界の26カ国から3300人を超えるエンジェル投資家が会員として参加し、テクノロジー、ヘルスケア/ライフサイエンス、エネルギー、消費財など様々な分野のスタートアップ企業に対する資金支援および事業支援活動を展開しています。2017年末から日本に拠点を構え、ケイレツ・ジャパンとして本格的に活動を開始しました。
まずは、私がこのエンジェルの仕事に携わることになった背景をお話ししたいと思います。そのためには後ほど述べる金融を巡る歴史を理解しておくことが重要ですが、ここでは現在の状況について述べます。
現在の日本にはお金があふれています。これは米国の金融政策の転換が始まった1980年代初めに比べると、あらゆる面で資金調達が容易になっていることを意味します。米国でエンジェル投資が本格的に始まったのも1980年代です。こうした状況にもかかわらず、日本のスタートアップの活動は、欧米に比べるとかなり遅れているのが現状です。
特に日本のスタートアップは日本国内に留まり、海外へ雄飛する企業が非常に少ないことに危機感を感じています。現在のように資金調達が容易な環境がいつまでも続くとは考えられないので、今のうちに日本のスタートアップの活動を活性化することのお役に立てればと考えたのです。人間は目の前のことに集中しがちなので、現在だけを見ていると本質的な部分を見失ってしまうケースが少なくありません。現在をよく理解するために、歴史的視点を常に持つことはとても重要だと思います。
本澤さん自身は、金融業界でその歴史を目撃してきた。でも、もともとの出身学部は理系ですよね。
本澤:はい。農学部の出身です。実は化学を勉強したくて理系を選んだのですが、たまたま履修した教養科目の経済学にとても関心を持って、農業経済学を専攻として選びました。農業経済は、農業に関する政策、農家の経済や経営を中心に学ぶ学問です。特徴は、目的がはっきりしていること。もう一つ重要なことは、土壌学、植物栄養学や農業機械など理系科目も万遍なく学ぶことです。農業という対象を全体的にみることで、物事を有機的に考えることができるようになると思います。農業は人間が生きる上で最も根本的な分野ですから、とても地に足が着いた学問なのです。
卒業後の進路には、銀行を選んでいます。
本澤:1981年の卒業ですから、まだ理系の学生が銀行に就職するのは珍しい時代でした。当時の銀行と言えば、ほとんどは法学部や経済学部の卒業生でしたから。銀行を選んだ理由は、欧米に留学したかったからです。最初の4年間は、国内で様々な業務に携わりましたが、その後、英国のケンブリッジ大学の経済学コースに留学して、マスター(修士号)を取得しました。
留学した1985~1987年はサッチャー政権の全盛期で、英国社会が大きく変革を遂げた時期です。1986年には、英国の金融改革、いわゆる「ビッグバン」が起きました。当時のことは今でも鮮明に覚えています。1986年10月27日の朝、BBC(英国放送協会)にチャンネルを合わせると、まさに宇宙のビッグバンが起きたような映像が流れ、「今日からビッグバンが始まる」といった空気を醸成していました。
英国での体験は、私の価値観形成に最も大きな影響を与えました。今でこそ、英国は「欧州の1つの国」という認識が強いですが、歴史的に見ればかつて世界の覇権を握ったことがある国であり、基軸通貨「ポンド」を運営したこともある国です。そうした歴史的な重みを、サッチャー首相の議会での発言を聞いていて何度も感じました。
当時、米国の大統領はロナルド・レーガンで、レーガンとサッチャーが世界的な構造改革を巻き起こしました。これを目の当たりにしたことが、後に私がエンジェルに関わる仕事を志した話につながります。
起点は「ニクソンショック」と「レーガン革命」
レーガン政権の構造改革とはどのようなものですか。
本澤:レーガンの大統領就任は1981年。それから米国の金融政策はガラリと変わりました。
その政策転換を歴史的に見ると、さらに10年前の1971年に起きた「ニクソン・ショック」に遡ります。米ドル紙幣と金との兌換を停止したことで世界の通貨制度が大きく変化しました。米国の株式市場で優良銘柄に投資家の人気が集まる「ニフティーフィフティー(人気の50銘柄)」という現象が生じたのもこの時代です。要するに、経済全体は思わしくない展開で、ニューヨークのダウ平均株価があまり変動しない状況になったわけです。その後、1970年代後半からのカーター政権の時代には、米国経済が最も落ち込みました。スタグフレーションに陥り、金利も失業率も高止まりして、先行き不透明な時代でした。
その状況を受けて改革に着手したのが新自由主義を掲げたレーガン政権です。いわゆるレーガン革命の中核は規制緩和であり、市場機能の重視でした。経済金融政策は、供給重視のサプライサイダーと、通貨供給量を重視するマネタリズムを2つの柱とするものでした。1970年代の米国が構造改革の方向性を模索していた時代とすると、1980年代はその方向性が明確になった時代と言えるでしょう。
企業の観点では、1970年代の米国は大企業が傘下に何百社という子会社を抱えるコングロマリット全盛の時代でした。1980年代に入ると、第4次M&A(合併・買収)ブームが起きて大企業が分解されていった。
現在の社会は、こうした変革が起きたレーガン革命の延長線上にあります。その根本には、ニクソン・ショックがあったといえます。つまり、フィアット・カレンシー(不換通貨)という不換紙幣体制の中で金融市場が拡大する。これがレーガン革命以降で起きていることです。それから現在までの40年間は、通貨供給量が増え続けて、資金調達がどんどん容易になっていく状況が続いています。このマネーがあり余っている状況が、1980年代から米国でエンジェル投資家の活動が活発になる大きな契機になったのです。
英国留学後は、どのような仕事に取り組んだのですか。
本澤:1987年に日本に帰ってきて、すぐに米国での投融資の仕事に携わりました。米国ではちょうどレバレッジドバイアウト(LBO)が全盛の時代で、そのピークが1989年のRJRナビスコのLBOです。KKRがRJRナビスコの経営陣とLBO合戦を繰り広げて勝利を収めました。それをファイナンスの側面で支援したのが日本の大手銀行団で、その一角に私が勤めていた銀行がありました。
ところが、その直後に米国経済は一気に不況へと転落していきます。1990年代初めはどん底で、企業倒産の嵐でした。このため私はずっと手掛けていたLBOや不動産売買という前向きな業務から一転、不良債権に関する仕事に取り組むことになったのです。
希望して、不良債権に関する仕事に携わったのですか。
本澤:LBOや不動産売買で私が担当した案件が、どんどん不良債権化していきましたので、希望してというよりはやらざるを得なかったというのが正直なところです。でも、結果的に不良債権の取引市場ができる前から、その後の企業が再生するまでのすべての過程を体験できました。
その後、1990年代半ばから今度は日本の金融機関で不良債権問題が注目を集めるようになりました。そのときに外資系銀行の友人から「日本でも不良債権ビジネスがやりたい。協力してほしい」という声が掛かり、オランダのING銀行に転職しました。
約7年間、日本の不良債権処理の呼び水としてのビジネスを徹底してやり、2002年頃に別の友人から日本政策投資銀行と一緒にファンドを作ろうと声を掛けられました。そこで、「日本みらいキャピタル」というファンドを設立して、そこに移籍しました。不良債権処理とその後の企業再生の仕事に関わる中で、「プライベート・エクイティーはこれから日本でも大きくなる。マネジメント・バイアウト(MBO)のような企業買収ビジネスが活発になる」と考えたからです。
マネーは最大のゲームチェンジャーだが……
不良債権処理や企業買収など「マネー」を動かす仕事を長く続けてきた本澤さんが、KEIRETSUが手掛けるような新しいテクノロジーへの投資に興味を持ったのは、なぜでしょうか。
本澤:先ほど話したようにレーガン革命以降、マネー経済は拡大を続けています。これは裏を返せば、金融市場の相場が上がっているということです。一方で、マネーの価値は相場の逆数なので、どんどん低下しています。
今後もマネー経済が拡大を続けていけるのかといえば、そうではないでしょう。歴史的にそういう時代が永遠に続いた例はないからです。どこかで根本からこの流れを修正することができなければ、現在の通貨システムが存続することは難しいのではないでしょうか。
通貨システムは実体経済や金融を支える存在で、コンピューターで言えばOS(基本ソフト)のようなものです。お店に行けば、通貨制度など知らなくても誰でもお金を使えます。コンピューターのOSと同じように普段は全く意識しなくていい。でも、OSが大きく変わってしまったら、途端に困ってしまう。だから、通貨システムの変化は社会やビジネスのゲームチェンジを迫る破壊的な動きにつながります。その変化が起きると、誰一人として逃れられません。
それでも、この40年間、マネーの価値が下がり続けていることは事実です。金利はマネーの価格ですから、ゼロ金利はマネーの価格が限りなく下がっていることを意味します。そういう時代にマネーゲームを続けても意味がないというのが私の考えです。もっと実体経済に近い領域に注力して、真のゲームチェンジャーであるマネー経済の変化を観察していった方がいい。それともう一つの理由は、資源の少ない我が国にとって、テクノロジーは発展を続けていくためになくてはならないものだからです。これが、新しいテクノロジーに投資するエンジェルの仕事に関わるようになった理由です。
テクノロジーそのものには興味があったのですか。
本澤:テクノロジーへの投資に興味を持ったのは、もともと理系出身だったことも大きい。マネーの仕事をしながら、根本的なところではテクノロジーへの興味は持ち続けていました。特に、学生時代に専攻していた農業や食の分野です。もっと正確に言えば、農業の基本要素である空気と水と土。それぞれ環境、水や衛生、食につながるテクノロジーです。これらのテクノロジーの先には健康というテーマが出てきます。そうすると、医療や製薬のようなキーワードも関連してくる。
ライフやフード、新材料のテクノロジーに大波
現在、どんなテクノロジー分野に注目していますか。
本澤:テクノロジーには様々な分野がありますが、私自身はその全てに関わろうとは考えていません。やはり、人がいて社会が成り立ち、地球が成立しているわけですから、人ありきで人が幸せになるテクノロジーが最も大切だと考えています。KEIRETSUに参画してからは、KEIRETSUが以前から取り組んでいるテクノロジーがたくさんあるので、視野がとても広がりました。それでも、私の関心の根本は「人」という部分に変化はありません。
ここにきてAI(人工知能)が大きな話題ですが、AI単体で考えるのではなく、何かと組み合わせることが重要になります。 AIはテクノロジーのベースになるような存在ですから。組み合わせが大事という観点では、IoTも同じです。組み合わせるテーマとしては、農業やフードサイエンス、ライフサイエンスが中核の中の中核でしょう。
そう考える理由は。
本澤:これまで食の分野では、農業に関する技術革命で食糧不足を乗り越えてきました。具体的には、1940~1960年代の「緑の革命」です。第2次世界大戦後の食糧不足という社会課題を「肥料」「農薬」「農業機械」「種」という4つのコア技術でクリアしました。
その後、世界では、ローマクラブが1972年に発表した「成長の限界」で示されたように、人口増加による食糧難が大きな課題になると指摘されています。近年の地球温暖化による気候変動も、そうした流れを加速しています。一方で、緑の革命以降、農業では根本的な技術変化は起きていません。
ところが近年、遺伝子関連技術の進化が著しい。私が大学で農業を学んでいた頃は想像もしなかった遺伝子の解明が進み、医学や農学に劇的な変化をもたらそうとしています。恐らく、今後、本質的なゲームチェンジを引き起こしていくはずです。その動きに食やライフサイエンスも連動していくでしょう。
農業や医療と同様に、特にインパクトが大きそうなテクノロジーを紹介してもらえますか。
本澤:新素材・新材料に関するテクノロジーでしょう。炭素繊維や有機材料、セラミック系など様々な素材の材料革命が、製造業の根本を変えると考えています。
例えば、エジソンが電球を発明した際、最適なフィラメントの素材を探すために、約1600種類の物質について実験したと言われています。新しい素材を発見するために大量の試行錯誤を繰り返す状況は、つい最近まで続いていました。青色LEDの発明でレーベル物理学賞を受賞した天野浩氏もそうです。青色LEDを開発するために千数百回もの試行錯誤を繰り返した。それは「気合い(KIAI)だった」と彼は言っています。しかし、今後はそうではなく、気合いから「KI」を除いて「AI」を活用すべきと述べています。
新材料開発にAIを適用するということですね。
本澤:そうです。ノーベル物理学/化学賞だけを考えてみても、もう100年以上も続いているわけですから、テクノロジーに関する試行錯誤の蓄積は非常に大きいはずです。しかも、多くのことが既に完全かつ正確な方程式として解明されています。
でも、これまでその知見の蓄積は統合されていませんでした。要するに、ビッグデータ化されていなかった。今、それが起ころうとしています。ビッグデータ化されたデータベースを駆使することで、実験すべき対象をある程度絞り込めるようになる。エジソンは1600回も実験する必要があったけれど、これからの研究者や技術者はもっと少ない試行で答えにたどり着けるようになるでしょう。新材料に関する知見がデータベースにどんどん登録されていけば、材料開発の概念が根本的に変わると思います。
個別の新材料のことをすべて知らないとこうした議論ができないかといえば、そうではありません。むしろ、テクノロジーの専門家よりも、経済と技術の両方を経験して全体像を見られる人の方が得意だったりします。大企業の中にも、そういうヒントを生かせる人がいるはずです。もはや1つの技術だけでビジネスが成り立つことはありません。だから、広い視野を持ち、トータルでテクノロジーのインパクトを俯瞰してみることが大切な時代なのだと思います。
この記事は、日経BizGateに掲載したものの転載です(本稿の初出:2018年10月4日)。
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