2010年の「アイサイト」のヒットなどで販売台数が急拡大。今年、100万台を突破した。クルマの主流は今、エンジン車からEV(電気自動車)へと急速にシフトし始めている。EVを造っていないスバルは変化の時代を生き残れるのか。
日経ビジネス2017年7月24日号より転載
(聞き手は 本誌編集長 東 昌樹)

[よしなが・やすゆき]1954年東京生まれ。77年成蹊大学経済学部卒業後、富士重工業(現SUBARU)入社、2002年スバル戦略本部スバル企画室長。05年執行役員戦略本部副本部長。07年常務執行役員スバル国内営業本部長。09年取締役専務執行役員スバル国内営業本部長、11年代表取締役社長COO(最高執行責任者)、12年から現職。
私が空飛ぶクルマを「やっていい」と言ったら、
航空宇宙部門はその瞬間に始めてしまいそうです(笑)。
6月の株主総会で2人の専務が退任しました。その際に涙をこらえているように見えたと記者に聞きました。
吉永:そんな場面までよく見ていますね。武藤直人は1977年入社で私と同期、髙橋充は78年入社で2人とも私と同年代です。この10年間は彼らとのチームワークで経営してきたので、株主から退任の承認をもらう時は、どうしても胸に込み上げるものがありました。
髙橋には財務を見てもらっていました。技術のみんなが『良いクルマを造りたい』とバンバン投資しようとすると、髙橋が厳しい顔でビシッと抑える。嫌われ役を買って出てくれていたのです。
一方の武藤はエンジンの設計者。私も髙橋と同じで事務系ですから、設計図1枚読めません。そこをずっと武藤に支えてもらいました。
私が2005年に執行役員になった時、武藤も含めて新しく執行役員になった4人でその日の夜、飲みに行ったのを覚えていますよ。そこで、『正しい方向に死ぬほど働いたら、会社は良くなるものか』という話になって。最後に『なら、死ぬほど働いて、良くなるかどうかやってみようぜ』と言って別れたことを今でも思い出します。
当時はちょうど中期経営計画の途中でしたが、達成の見通しが立たずにボロボロの状態。『商品計画の再構築』を第一に掲げて中計を見直しました。その後、スバルは急激に販売を拡大してきました。数々の苦しみはありましたが、武藤も髙橋もその時代を一緒に生きてきた同志です。私にとっては、泣く泣くの退任となりました。
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