水泳での経験が自信の源泉に

池田社長が自信家であることには気付いています。その自信はどこからきていると自己分析しますか。

池田:幼稚園の時にスイミングスクールに通いだしました。水泳が自分に向いていたようです。他の子供たちと同じ練習だけしていてもドンドン速くなる。やればやるほど速くなったのです。

確か日本一になった経験もあるのですよね?

池田:小学校6年生の時には、ジュニア五輪の決勝に残るくらいになっていました。50メートルと100メートルの自由形では、神奈川県大会で常に表彰台に上りました。全国大会で決勝に残るレベルにはなっていた。

 しかし全国大会では1番になれなかった。2位、銀メダルが最高。心身両面で決勝の時にピークにもってくることができなかったのです。外国人選手は高校生でも身長1メートル90センチ代の選手がどんどんレースに出てきていました。勝てない。高校1年時に腰を痛めたこともあり、限界だなと思ってスパッと辞めました。

以後はコンプレックスを抱えたのですか?

池田:「スポーツ選手で1番になれなかったから、あとは社長になるしかない」とその時思いました。でも大学を卒業するまでは目一杯遊ぼうと思って、高校3年からサーフィンを始めました。今でもやっています。

仕事と遊びの両方を目一杯やるというタイプなんですね。

池田:母親は私をしっかり育てようという意識がありました。きちんとした人間に育てたかったようです。ただ父親は釣りが好きだったんです。サラリーマンをしながら、自分の楽しみもちゃんと持っていました。海外にサーモン釣りに行って、しばらく帰ってこないこともありました。

父親からの影響をかなり受けたということですか。

池田:働きながらしっかり遊ぶスタイルは、影響を受けていると思います。男というのはそういうものかなと思っていましたから。いまでも私がサーフィンをやっているのはそういう背景があるのだと思います。自分を解放できる瞬間を会得しているのだろうと思います。

まずは野球を知る

社長として、「これは思っていたのと違うぞ」とか「やはりそうか」と思ったことは何でしたか?

池田:仕事が長年メンテナンスされていない会社だろうとは思っていました。個人のパソコンもメールアドレスもありませんでした。社内ではタバコが吸われていましたし、セキュリティーがしっかりしていないので、知らない人があちこち歩いていました(笑)。会社の経営がしっかりしていないといけない。組織もしっかりしていないといけない。そうでないとチームの成績は低迷してしまいます。

社長として、やることに順位をつけながらやっていったのですか。それとも1度にいろいろと取りかかったのですか。

池田:いろいろやらなくてはいけなかったです。

 初年度は、まず野球を知る必要があった。百貨店をやっていて扱っている商品を知らないということはありえない。ですから高田繁さん(ベイスターズのゼネラルマネジャー)に質問しまくって、共通言語を身につけました。それから、仕事の内容がわからないといけないので、全社員と面接をしました。それが最初。