業績不振のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)を劇的なV字回復に導いた、戦略家・マーケターの森岡毅氏の新たな挑戦の一つが明らかになった。舞台は、沖縄本島北部で計画が進む新テーマパーク。同氏が率いるマーケティング精鋭集団「刀」は、沖縄県内の有力企業3社(オリオンビール、ゆがふホールディングス、リウボウ)と協力し、新テーマパーク構想を実現するための準備会社の設立へ向けて動き出した。「沖縄には、観光においてハワイを超えるポテンシャルがあり、この地は近い将来必ず日本の宝になる」と意気込む森岡氏。なぜ、沖縄に可能性を見いだしたのか。同氏が日経クロストレンドの単独インタビューに答えた。

[ 日経クロストレンド 2018年8月7日付の記事を転載]

刀 代表取締役CEO 森岡 毅氏
刀 代表取締役CEO 森岡 毅氏
1972年生まれ。96年P&G入社。ブランドマネージャーとして日本ヴィダルサスーンの黄金期を築いた後、2004年P&G世界本社(米国シンシナティ)へ転籍、北米パンテーンのブランドマネージャー、ヘアケアカテゴリー アソシエイトマーケティングディレクター、ウエラジャパン副代表を経て、2010年にUSJ入社。12年、同社CMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)、執行役員、マーケティング本部長。USJ再建の使命完了後の17年、マーケティング精鋭集団「株式会社 刀」を設立。近著に『マーケティングとは「組織革命」である。』(日経BP社)がある

──沖縄のテーマパーク開発は、USJ時代にも構想がありました。今回は2度目の挑戦になりますね。

森岡毅氏(以下、森岡) 私は2010年からUSJの改革に取り組み、最終的にUSJをアジア最大のエンターテインメント・カンパニーにすることを目指していました。

 これを、どうすれば実現できるのだろうか。例えば、ディズニーリゾートは2つのテーマパークで年間3000万人以上を集客していますが、私が入社した当時のUSJは来場者数が年間730万人と伸び悩んでいました。今では、USJはたった1つのパークで1500万人の水準まで大きく躍進しているものの、そもそも関東エリアは関西の3倍の商圏人口を抱えているので、USJ単体ではオリエンタルランドを抜くことは難しい。つまり、アジアのナンバーワンになるためには、いずれ他の拠点が必要になることは自明だったわけです。

 他拠点にテーマパークを建設するためには、資金力が必要です。私は、「3段ロケット構想」と呼ぶ大戦略を立案し、1段目は長年の弱みであったファミリー層の集客を強みに変えるため、ファミリー向けキャラクターを集結した「ユニバーサル・ワンダーランド」を12年に開業。そして2段目は関西に7割も依存していた集客体質から一気に脱却するために、「ハリー・ポッター」の一大エリアを14年にオープンしました。こうしてトップラインを大きく伸ばしてキャッシュを稼ぎながら、ロケットの3段目である「パーク経営ノウハウの他拠点への水平展開」につなげる計画でした。

 そして、どの拠点に展開するかを考えたとき、新パークの成功確率が最も高いのは沖縄だという結論を出しました。この理由は、後ほど詳しく述べます。

──しかし、最終決定の一歩手前で突然USJの株主陣が変わってしまいました。

森岡 そうです。この構想自体は、国と沖縄県の両方の強い力添えがあり、最終決定の一歩手前までこぎ着けていました。しかし、調印の直前に予期せぬ出来事が起こったのです。USJの株主資本の51%が、ゴールドマン・サックスを中心とする旧株主から、米国メディア大手のコムキャストに売却されました。

 そして、新たなマジョリティを握ったコムキャストは、結果的に「世界戦略として考えると、沖縄進出は決してベストな選択ではない」と判断しました。すでにユニバーサル・パークは大阪、シンガポール、北京(建設中)に展開しています。地理的な中間地点にある沖縄で、しかも別ブランドのパークを独自開発で造ることは、コムキャストの世界視点で見れば効率的に思えない。USJにとってベストな戦略も、ユニバーサル全体で見れば必ずしもベストとは言えないということです。

 私自身、新経営陣に理解してもらえるように精一杯粘りましたが、力が及びませんでした。このコムキャストの決断は個人的には非常に残念でしたが、私のプロとしての理性では、1つの判断として冷静に受け止めています。

 しかし、私は一企業の戦略のためにというより、「日本の将来のためにこそ沖縄の観光地化を早く推進すべき」という強い想いを持ち続けています。V字回復を果たしてUSJでの使命を完了し、17年にマーケティング精鋭集団の「刀」を設立した後も、同じです。そんな中で新たな枠組みの沖縄パーク構想に関わる機会を得て、もう一度挑戦させてもらうことを決めました。