聞き込み、張り込む、謎の東洋人

中澤:もう直接会って理解してもらうしかないと、一路クレモナへ。

自ら?

中澤:つてをたどってあの手この手でアプローチをしたのですが、それでは足りない。自分でやるしかない、と。

最初のターゲットは?

中澤:聖地クレモナ市にあるヴァイオリン博物館の館長です。

トップ中のトップ。

中澤:目標は20挺以上ですから。他の所有者たちも「あそこが認めるならうちも協力する」と言ってくれるところを攻略しなければ先に進めないと思って……。

いざ博物館へ。

中澤:大きな宮殿みたいなところで、訪ねても秘書のところで止まってしまい……。

会えない。次の手は。

中澤:聞き込みをしたところ、館長がよく行くコーヒーショップがあるというので、そこで張り込みを。

刑事ですか。

中澤:入ってくる人が見える席で何杯もコーヒーを飲みながら、何日もひたすら待ちました。お店の人も最初は“謎の東洋人”を不審がっていたようですが、日本からヴァイオリンの話をしに来たと言ったら、今度は不思議がられながら(苦笑)。

館長に会えましたか。

中澤:ようやくやってきたところをつかまえて、話しかけて、自己紹介をしてフェスティバルの話をダーッとして、とにかく時間をくださいとお願いして、「分かった、連絡する」と言ってもらって。

ついに。

中澤:でも連絡はなくて。

体よくあしらわれた感じ……。キツいですね。

中澤:でも会えたことが第一歩です。その後もアプローチを続けながら、日本から有力な楽器オーナーに来ていただいて、期間限定で名器を寄託する話を持ち込んで、どうかフェスティバルの話も聞いてくださいとお願いしたりして、ようやく。

思いが叶った。

クレモナのヴァイオリン博物館の会議室で、初めて館長に話を聞いてもらった時の一枚。「ここで頑張らずにいつ頑張るのかというくらい、必死でした」(中澤氏)
クレモナのヴァイオリン博物館の会議室で、初めて館長に話を聞いてもらった時の一枚。「ここで頑張らずにいつ頑張るのかというくらい、必死でした」(中澤氏)
幾度もの交渉を重ね、クレモナの博物館とついに交渉成立
幾度もの交渉を重ね、クレモナの博物館とついに交渉成立

中澤:そこが本当のスタートでした。徐々に話を聞いてくれる人が増えていって、貸し出していただける数も増えていって。

 ロンドンで一番最後に決まったのが、ストラディヴァリの1722年の作品「ロード」でした。生涯で10本しか作っていない、王や貴族のために特別に宝石で装飾した伝説のストラディヴァリウスです。

 オックスフォード大学の中にアシュモレアン博物館というところがあります。世界最古の大学博物館です。その奥の奥にある展示室に飾られています。

 そこのキュレーターに会いに行ったんです。ぜひ貸し出してほしいと思いながら、さすがにこれは難しいとも思っていたのですが、東京でストラディヴァリウスのフェスティバルを開くにあたって挨拶だけでもしたいと。

 自分の思いと、それまでの経緯を話しました。すると彼は「よく頑張ったね。ついてきなさい」と言って、私をロードの前に連れて行ってくれました。そして「よかったら、私がこれを持って東京に行くよ」と。

心震える瞬間。

中澤:涙が自然に出てきました。ああ、伝わったんだと。

 確かに日本は遠い。でも、そんな日本だからダメだと諦めてしまったら、そこで終わりなんですよね。

アシュモレアン博物館の「ロード」の前でキュレーターと。「貸出許可をもらった瞬間、感無量でした」(中澤氏)
アシュモレアン博物館の「ロード」の前でキュレーターと。「貸出許可をもらった瞬間、感無量でした」(中澤氏)

次ページ ここでやりたい、ここしかない