300年前に追いつけ

中澤:様々なものは過去を礎に進化していきますよね。例えば「通信」はそれこそ狼煙(のろし)から始まって、電話ができて、インターネットができて、世界中がiPhoneでつながるようになった。

自動車はどんどん改良を加えることでより速くなり、自動運転の時代を迎えようとしている。

中澤:そんな中でヴァイオリンは「300年前に作られた理想の形」をひたすらに追求し、何とか近づこうとしている。不思議だと思いませんか。

確かに。

中澤:例えば、ピアノは演奏家の技術の向上に合わせて鍵盤が増えて、グランドピアノというものができました。他の楽器もそうした進化をしている中で、ヴァイオリンはその形を変えずに、むしろ演奏家が楽器に追いつこうと努力をしている。

 古いからいいというわけではなく、名品とされるものが代々、様々な人の手を経て、大事に今に届けられている。そうした楽器は弾く人に、本来の音色を引き出す力を求めます。手に取った演奏家を叱咤激励しながら、良い音を引き出してくれるのを待っているんです。そういうヴァイオリンのユニークさなども、ぜひこの機会に知っていただきたいです。

そんなフェスティバルの準備は順調でしたか?

中澤:スタートは至って順調でした。

 若手演奏家へのストラディヴァリウスの無償貸与をずっと続けていらっしゃる壱番屋創業者の宗次徳二さんはじめ、著名なヴァイオリニストなど日本でストラディヴァリウスを保有している方々にご相談して、貸し出しのご快諾をいただいて。

もう、すぐにも実現できそうな勢い。

中澤:だったのですが……。

構想から5年かかった理由がそのあたりに?

中澤:勢いに乗って、さあ、次は海外だ!と本場ヨーロッパのキーパーソンと目される方々に協力依頼をしたのですが、見事に門前払いを食らいました。

 「ヨーロッパでもなかなか実現できないことを日本でやる? 本気なのか?」「日本にあるだけでやったらいいんじゃないか?」「悪いことは言わないから、やめておきなさい」……。

壁は厚かった。

中澤:想像以上に。日本人にも世界的コンクールで優秀な成績を挙げる演奏家がいますが、ヨーロッパから見れば、遠くアジアの端からやってきて、本場で学び、腕を磨いた人たちであって、「日本でヴァイオリンの世界的フェスティバルをやる意義」というのはなかなか理解してもらえませんでした。

アドバイス通り、日本にある分だけでも相当なイベントになりそうですが。

中澤:妥協しようと思えば、いくらでもできました。でも、それじゃあ、直面する「クラシックの危機」に楔を打ち込むようなインパクトは残せない。世界のクラシック専門家が驚くようなことを日本でやってこそ意味がある。

 ストラディヴァリウスの傑作はクレモナとロンドンにあるんです。それらがないと、レオナルド・ダ・ヴィンチ展をやるのに『モナ・リザ』も『最後の晩餐』もない、というようなことになってしまう。

何としても説得しなくてはいけない。

中澤:手紙やメールを何通も送りましたが、埒はあきませんでした。断りの連絡があればいいほうで、反応さえないところも多くて。

打開策は?

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