2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向け、各国をテーマとした振袖をつくる「KIMONO PROJECT(キモノプロジェクト)」を推進する一般社団法人イマジン・ワンワールド。プロジェクトの発案者でイマジン・ワンワールド代表理事を務める高倉慶応氏には「危機的状況にある呉服業界に一石を投じたい」という思惑もある。
着物業界では低コスト、高効率に生産できるインクジェットプリンターを使った新興メーカーが台頭。昔ながらの着物づくりを続ける制作者は苦戦を強いられ、伝統技術の継承にも黄信号がともる。「今こそ消費者に本物の着物の価値を再認識してもらうべき」。高倉氏はこう力を込める。
(上編から読む)
キモノプロジェクトは196カ国の着物づくりを目指すという壮大なスケールです。呉服店の社長という立場で一歩を踏み出すのは大変な決断だったことと思いますがいかがですか。
高倉:正直、始めるまでには相当、悩みました。「ムリかな」「ポシャるかもしれない」とネガティブな思考も頭をよぎりました。でもやってみなくてはムリかどうかわかりません。見切り発車でしたがとにかく始めてみようと。口幅ったいことをいうようですが、このプロジェクトは自分の天命にも思えたので。
天命…。なぜそう思ったのですか。
高倉:私は子供の頃から外国とか国際交流に対する興味が強く、仕事でも海外事業、海外進出にかかわりたいという思いがありました。大学卒業後には当時国際業務も盛んだった大手都市銀行に入行しました。ところが1年目でオヤジが病気で倒れてしまいまして。早々に地元に戻って蝶屋の仕事を手伝うことになりました。ようやく銀行の仕事を覚え、自分の担当先をもらって「さあ、これから」という時に内向きの、しかも斜陽産業に入っていかなくてはいけなかった。長男の宿命と受け入れましたが、正直、つらい思いがありました。

そうは言っても蝶屋に入った後は着物業界のことを知ろうと猛勉強しましたよ。委託販売が主流になっている中で、蝶屋はほとんどの商品を買い取りしていましたから店には山ほど在庫があります。1枚1枚じっくり見て、触って、良いものを見極める目を養いました。2008年にはオヤジから社長を引き継ぎます。四半世紀の間、この世界で経験、人脈、信頼を積み上げて今に至っています。その間、洋楽好きが高じて地元のラジオ局でパーソナリティーを務めたこともあります。流行ってはいないけれど素晴らしい楽曲を紹介するという内容の番組で「良いもの」をガイドする役割を果たしていました。
2013年にキモノプロジェクトを思いついた時、世界への関心、着物の知識、良質なものを伝えるスキルなど私が蓄積してきたこうした思いや経験、人脈がすべて活用できると感じました。地方にいても、中小企業の経営者であっても、私利私欲を捨ててがんばれば世界中に影響力を及ぼすプロジェクトを成し遂げられるかもしれない。思いを同じくする全国の若者にも勇気を与えることもできるのではないか。そう思ったのです。
着物業界に入って以来、本当に良い着物を数多く目にしてきた私は今の着物市場に強い危機感も抱いていました。今、着物市場には手間暇かけてつくる本来の着物とはかけ離れたものが増えています。今回のプロジェクトでその現状に一石を投じたいという思いもありました。
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