※久々の再開「人生の諸問題」、前回からの続きです
(聞き手:清野 由美、前回はこちら)。

小田嶋:一連の電通などにおける、「残業をやらなくても、利益は変わらなかった問題」の続きだけど、「残業をやめてみたら、大丈夫だった」ということは、全然あり得る話だと思いますね。たとえば甲子園に出るような高校野球のチームって、元旦以外は全部練習しています、みたいな話が多いでしょう。

:確かに、「正月は松の内が明けるまで、お休みにします」なんていう野球部は、甲子園レベルでなくたって、「とんでもない! もっと練習しろ!」というのが日本の通常の意識ですよ。

<b>岡 康道(おか・やすみち)</b>1956年生まれ。佐賀県嬉野市出身。80年早稲田大学法学部卒。同年、電通に営業として入社。85年にクリエーティブ局へ異動。99年7月クリエーティブエージェンシー「TUGBOAT」を設立。2004年 NYADC審査委員を務める。東京コピーライターズクラブ会員。NY ADC会員。LONDON D&AD会員。主なCM作品として、NTTドコモ、NTT東日本、サッポロビール、大和ハウス、キヤノン、富士ゼロックス、富士フイルムなど数々の企業ブランドキャンペーンを手掛ける。
岡 康道(おか・やすみち)1956年生まれ。佐賀県嬉野市出身。80年早稲田大学法学部卒。同年、電通に営業として入社。85年にクリエーティブ局へ異動。99年7月クリエーティブエージェンシー「TUGBOAT」を設立。2004年 NYADC審査委員を務める。東京コピーライターズクラブ会員。NY ADC会員。LONDON D&AD会員。主なCM作品として、NTTドコモ、NTT東日本、サッポロビール、大和ハウス、キヤノン、富士ゼロックス、富士フイルムなど数々の企業ブランドキャンペーンを手掛ける。

小田嶋:そんなことをいったら、誰よりもまず親から突き上げを食らっちゃうでしょう。野球に限らず、高校の部活って、「朝練します、夜練します、土日も練習します」といった空気がある。

:最近は、そういうやみくもなやり方は違う、という風潮も出てきてはいるけれど。

血反吐を吐かずに強くなれるんだ!

小田嶋:ほら、広島観音高校(=広島県立広島観音高等学校)のサッカー部だったっけ? 2000年代後半に、ちょっと有名になったじゃないですか。そんなにばかみたいに練習をしないで、ちゃんと休んで、生徒に練習メニューを決めさせて、インターハイで全国優勝を果たしたケースが(2006年)。

<b>小田嶋 隆(おだじま・たかし)</b>1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。日経ビジネスオンラインで「<a href="/article/life/20081022/174784/" target="_blank">ア・ピース・オブ・警句</a>」、日経ビジネスで「パイ・イン・ザ・スカイ」を連載中
小田嶋 隆(おだじま・たかし)1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。日経ビジネスオンラインで「ア・ピース・オブ・警句」、日経ビジネスで「パイ・イン・ザ・スカイ」を連載中

:根性論の対極でやってのけた。

小田嶋:日本では週7日、要するに1年のうち350日ぐらい練習するのが当たり前なんだけど、そんなものは200日で十分ですし、朝練もしません、練習メニューは生徒が決めます、といった、われわれからしたらウソみたいなやり方で、ちゃんと強くなっているという事実がある。

:たとえばアメリカ代表と日本代表が野球の試合をすると、高校生の場合は日本が勝つんだって。

小田嶋:その段階では日本が勝つ。でも、大学で抜かれる。ということは、練習漬けは結局、自己満足で、そんなにやる必要はないんだ、と。練習至上の夢というか、思い込みから目を覚まさないとだめなんだろうけど。

:先輩の練習が終わるまで、正座して待っているといった習慣は、残業とかなり似ていると思うよ。

小田嶋:広告代理店とかでは、そういう体質の人が、いまだに多いんだろう。

陸上と野球のマインドの違い

:ただ同じ運動部でも、僕たちが高校でやっていた陸上部では、そういう空気はなかったよね。

小田嶋:うん。なぜかというと、あれは団体スポーツじゃないから。

:休養も練習のうち、ということが、僕たちの時代からいわれていた。

(※僕たちの時代=1970年代。かれこれ40年前です)

小田嶋:大会前の1週間は、完全に休む。そうすると、体力が一時的に回復して、瞬発力が上がる。それを「たまりバネ」なんて呼んでいましたね。専門誌の「陸上競技マガジン」なんかには、当時から、乳酸値がどうするとこうなるとか、筋肉の何とかの組成とか、タンパク質、グリコーゲンがどうしたとか、運動生理学系の話がじゃんじゃん書いてあって、ほかのスポーツ雑誌とは全然違っていた。

:そう、栄養士が読むような内容だったね。

小田嶋:「とにかく根性」とかは書いてなかった。

:それで、陸上部は先輩・後輩の序列も、別に厳しくなかったじゃないか。

小田嶋:やっぱり団体競技じゃないからね。

:そこのところは大きい。負けたとしても、それは俺が恥をかくだけ、小田嶋が恥をかくだけ。だから、大会が近づいてもチームの結束とかなんとかは、関係なかった。

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