小田嶋:この年になると、友達が死ぬというのは珍しいことじゃなくなってくるんだけど、その中でも何人かは自殺というものがある。
岡:うん。
小田嶋:あれは、残された人間にとって、まったく整理がつかないですね。病気や事故で亡くなった人については、何だかんだ思うことはいろいろあっても、こっちもそいつとの物語に一応終止符は打てる、というか、まあ、何とか納得できる。でも、自殺は納得できない。自殺を選んだやつは、今でも俺の夢に出てくるもの。というのは、あれは納得してないんだよね、結局。
小田嶋さんが納得していない、ということですか。
小田嶋:そう。死んだ相手が、じゃなくて、俺が、です。
岡:向こう側だとしたら、話が稲川淳二になっちゃう。
小田嶋:それで、俺の側には、「どうして?」「何で?」って、言葉にできない思いがずっと残る。
岡:それは自殺独特のものですよ。
小田嶋:自殺って、本人だけじゃなくて、かなり大勢の人間に、いろいろな遺恨を残します。そのことは言っておきたい。
50を過ぎたら、人間、半分うつなんです
岡:男は50歳過ぎたら半分うつだ、というのは僕の説なんだけど、そのくらいの塩梅で行くのが、むしろいいんじゃないですかね。
女性も50歳を過ぎたら、大方そんなもんですよ。
岡:だいたい、大人になって、いろいろ苦い場面も経験して、それでずっとハイテンションという方が、おかしいよね。
小田嶋:常にハイテンションというのは、双極性障害でいうところの、躁状態である恐れは大きいんじゃなかろうか。
岡:「これからは、こういう時代だぞっ」と、力強く周囲を説得しながら、いつも少しずつ間違えている、といった感じの人っているよね。そういう前向きな人は要注意だよね。
小田嶋:その感じは分かる。「曇りのない人」って、対人的に表に出るときは、そういう演技をせざるを得ない人間だよね。
オダジマさんは演技なしで、アル中時代を正味に語ってくれましたね。

小田嶋:アル中時代の話を他人に話すようになったのは、酒をやめてから10年が経過したころ。理由は、ようやくアルコールから離れた自覚を持つようになったから。というか、自分が「アルコールをやめた人間」であることを、積極的にアピールしていかないと、禁酒が完成しない気がしたから。
禁酒アピールは、禁酒に至った来歴を含めて強めに訴えておかないと、かえって面倒なことが起こるんですよ。「お酒はちょっと控えていますので…」的ないい方をしていると、減量中のOLさんが、食べさせたがる同僚に包囲されるみたいな感じになって、酒好きの人たちに飲酒を強要されたりします。
酒飲みの中には、他人の禁酒を自分の人生に対する当てこすりみたいに受け止める人がいます。そういう人たちを黙らせるためには、やはり飲酒中のトラブルも含めて、洗いざらい言及しておいた方が、話が早かった。
岡:だったら、それも一種の演技だよね。オダジマ流の。
小田嶋:まあ、それで生き延びることができました。
電通を反省させよう、という空気
岡さんの古巣の電通では、新入社員の女性の自死をきっかけに、過労死問題が大きくクローズアップされました。
岡:過労死問題は軽々しく語れる問題ではないんだけれど、今回の電通のケースは、直属の上司は不起訴です、といいながら、法人としての電通に対しては、労働基準法違反容疑で書類送検をしているところが、どうもよく分からなかったです。
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