大変ご無沙汰をいたしました。前回の掲載から1年と半年。「諸問題」チームもみんな、それぞれに年を重ね、時の流れに身を任せているうちに、トランプ、北朝鮮情勢、過労死、と、ますます怖い世の中になり、その中で、岡さん、オダジマさんも還暦越えを果たしました。
ということで、もういい大人なんだから、ゆるゆる、だらだらやっている場合じゃない。今度こそ、「非常に参考になった」と、読者のみなさまにいってもらえるために、ちゃんと論考するぞ。(聞き手:清野 由美)

写真右:岡 康道(おか・やすみち)1956年生まれ。佐賀県嬉野市出身。80年早稲田大学法学部卒。同年、電通に営業として入社。85年にクリエーティブ局へ異動。99年7月クリエーティブエージェンシー「TUGBOAT」を設立。2004年 NYADC審査委員を務める。東京コピーライターズクラブ会員。NY ADC会員。LONDON D&AD会員。主なCM作品として、NTTドコモ、NTT東日本、サッポロビール、大和ハウス、キヤノン、富士ゼロックス、富士フイルムなど数々の企業ブランドキャンペーンを手掛ける。
小田嶋さん、膝の大ケガから完全復帰、おめでとうございます。
小田嶋:はい。膝に埋まっていた金属のプレートをボルトとともに抜きました。といっても、もう去年の秋の話なんですけどね。
再入院は大変でしたか?
小田嶋:2週間ぐらい入院していましたけど、すっかりよくなりました。
岡:おいおい、もう再入院から、かれこれ9カ月くらい経過しているんだよ。
最初の入院のとき、みんなでお見舞いというか、押しかけに行ったことがいい思い出ですね。
岡:病院が小田嶋先生のために"財前部屋"を用意してくれていたね(こちら)。
岡さんは2回目のときも行ってあげましたか。
小田嶋:こいつは来てないですよ。
岡:小田嶋が膝のプレートをいつ抜いたかすら、僕は知りませんでしたね。でも、小田嶋とは前後にマージャンをやっているんですよ。ケガをしていたときの小田嶋は、異常にマージャンが強くて、どうやっても勝てない状態だった。
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小田嶋:「集中力が集中した状態」で、あの前後は1年ぐらい、ものすごく強かった。
岡:本当に手が付けられず、普通は勝ち上がることが極めて難しい内輪の大会でも、優勝まで行ってしまった、なんと。ただ、その後は、健康になるにしたがって、ジャン力が弱まっていったけどね。あれ、糖尿病の数値と反比例するかのようだったね。
小田嶋:で、今は、すっかり元通りです。
岡:今は再び、非常に弱ちんになっている。だからまあ、「行って、帰ってきた」というところですかね。
何かを失うと強くなる、なんて、まるでアニメのキャラみたいな小田嶋さん。
小田嶋:『鋼の錬金術師』ですか……。それにしても、確かにマージャンって、何かハンディを持った人が強いんです。
岡:ハンディといえば、僕は今、毎月、指に注射を打っていてね。かつてシニアアメフトをがんばったせいか、いろいろな指の第2関節が曲がらなくなってきたんですよ。で、医者に行ったら、「これはピアニストに多い病気です」ということで。
小田嶋:お前、ピアノ弾いていたのか?
岡:弾きません。持ち上げたことはあったけれど。
小田嶋:そうそう、昔、俺の実家のピアノを、お前が運んでくれたことがあったね。
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