(前回はこちら

 世間では「100歳社会」が話題になっています。私たち「諸問題」チームの面々にとっても、この長き寿命の後半をどう生きるか、ということが重みのある課題になっています。逗子マリーナで海を見ながらうかがった、平日に都心の公園でノックの練習に明け暮れる還暦過ぎのおじさん二人の姿(前回参照)に、ある種のロールモデルを見た気がしました。

:それ、本気で言ってないでしょう。

 いや、あくまでも、そういう気がしました、ということで……。

:実際、練習はつらい。ノックでぼろぼろになるんだけど、でも、楽しみにしているんですよ(笑)。

小田嶋:だから結局、高校時代に戻っている。楽しみはマージャンと野球って。

:去年はそこに、横浜DeNAベイスターズが彩りを添えてくれたので、よかったですねえ。

小田嶋:なにしろお前は、大洋ホエールズ時代からの筋金入りだからね。

 ベイスターズがあそこまで行くのは予期していましたか?

:いや、まったく予期してなかったです。ラミレスほどの監督を、ベイスターズが戴いたことは今までなかったわけですから。

小田嶋:なにしろ「戦略なきベイスターズ」だものね。

:そりゃ、ベイスターズに戦略はないよ。ただ、まるきり戦略がないことで優勝したのが権藤(博監督)なのね。ミーティングも廃して、私を監督と呼ぶなといって。

小田嶋:ああ、そうそう、あの変わり者だった監督さんですね。って、もうすごい昔じゃん?

優勝を見届けて、会社を辞めました

:1998年。20年前です。ハマの大魔神、佐々木(主浩)が投げて、若きエース(川村)が活躍して、三浦(大輔)がまだ若かった。野村(弘樹)というピッチャーが11勝して、みたいな。

小田嶋:野村ね。はいはいはい。

:僕はあの優勝を見届けて、1999年に電通を辞めたんだ。

小田嶋:なるほど。野球とかサッカーに入れ上げていると、自分年表とチーム年表が一致していくんだよね。向こうのサッカーファンでも、「ジョージ・ベストがやっていたころ、俺は嫁さんと結婚したんだ」みたいに、自分史とチーム史が重なっていて、それこそが本当のヨーロッパ市民だ、みたいな感覚があるだろう。

:人生とシンクロするよね。アメリカの新聞記事なんかでも、「ブルックリンからドジャースが消えた日」みたいに、歴史的なモチーフにしていますよね。

小田嶋:これが日本だと、「王、長嶋がいた時代」になる。まあ、王、長嶋だったら全国的に分かち合えるけど、

:大洋だと、ほとんど分かち合えない(笑)。だから唯一、みんなに分かってもらえるのは、優勝した年なんだよ。1998年に優勝して、僕は次の年に会社を辞めた、と。そういうリンクが自分史の中にあるのに、しかし、それ以降は空白になっちゃって。何というか、戦略もなければ、金もないからさ、横浜は。

次ページ 次の日本シリーズを生きて見られるのか