小田嶋:間食しないとか、おやつがないとか、一日中甘いものを1個も食べないとか、そういうことなしに、どうやって人間が生きていくんだ、という問題が残る。

 なんか、全部ジャンクな欲望じゃないですか。

小田嶋:まあ、そのあたりはそれとして、ただ、毎日のルーティンに慣れると、そういうジャンクさとは無縁の生活もできるんだよね。

:だからサラリーマンも、そのルーティンにはまり込んじゃうと、できちゃうんだよ。

小田嶋:入院中は何かの欲望を抑えているんじゃなくて、欲望そのものがなくなっちゃう。

 ここにオダジマ先生の新しい境地が。

小田嶋:欲望って不思議なもので、手に入らないものは欲しがらないように我々はできているんだ。

:それは分かる。

小田嶋:仕事をしている横にお菓子の山があって、それで一服しよう、という時に、それが目に入ると「あ、ちょっと食おう」と思うけど、入院中はその「お菓子の山」がない。ちょっとマンションの部屋を出て、下に下りればコンビニがあるとか、そういうものもない。病院で間食するって、すごく大変なことで、看護師にばれないように車椅子で下のローソンに行って、買って、隠れて食って、ごみを処理する、と全部が面倒くさ過ぎて。

渋谷のスクランブルを渡れる世代、つらい世代

 状況が変わると、欲望の位相もズレていくんですね。

:そうだよね。戦後の日本は、食う物がないから、みんなやせていたわけじゃない。食う物がない状況が普通だから、それでみんながやっていけた。耐えているといより、欲望がなかったんだよ。

小田嶋:そう、確かに。だから欲望を我慢してダイエットしているようではだめなんだよ。おなかが減るとか、何かここで甘い物食いたいな、とかいう気持ちを喚起させる何かが周囲にあると、たちまち挫折する。入院中は、そういう喚起物がまったくない環境だったから、それに関する気持ちが起こらなかった。

:だけど、隣のやつが、コンビニに行って、隠れてうまそうにお菓子を食っていたら、話は別でしょう。そういうやつがいたら、穏やかではいられないよね。

小田嶋:そうなんだけど、俺の場合は隣の人もひどく骨折をしておられて、動くことができなかったですからね。

:ということは、ある秩序の下では、人間は欲望に支配されない、ということか。

小田嶋:ルールというか、秩序と自由の問題というのはなかなか深いことでね。どこかで対談した時に、その話になったんだ。たとえば東アジア、中国、韓国、日本というぐらいの、要するに儒教文化がある程度あるところは、100人の人間がいて、みんなが少しずつ我慢してわがままを言わないでいた方が、社会全体としては居心地がいい――といった、秩序優先の考え方をする。

 ところが西洋人の世界では、みんながわがままを言うことがベース。だから他人というものが、わりと迷惑な存在なんだけど、その迷惑の方を我慢しようじゃないか、という原理なのね。人はそもそも自由なんだから、街で変なことをやるやつがいたり、でかい音で音楽をかけるやつがいたりすることの中で暮らしていく。それが人間だよ、と。

:アジア的な秩序というのは、「みんなが一緒に住んでいるんだから、大きい音で音楽を聴くことは、みんなで我慢しましょう」という方だよね。つまり、自由よりは秩序の方を重んじて、共同体を回していく。

小田嶋:渋谷のスクランブル交差点が、外国人の観光客にとってマーベラスな名所になっているらしいじゃないか。